大人はわかってくれない
戦後映画の偉大な時代はほんとうに終わってしまったのかもしれない。
どうしてって?
いま、わたしたちは、ここ10年間に、ただの1本でも、イタリア、フランス、イギリス映画に「名作」と言える映画の名前を云えるでしょうか。
日本柔道連盟を告発した15名の選手たちは、いまだに名前を明かしません。
その理由は明々白々。オリンピックの選考基準が、アメリカのように、一発選考ではなくて、連盟の判断余地があるからですよ。
テレ朝日などは、ニュースステーションで、「彼女たちの真意が見えてきた」などと言っていましたが、一発選考ではなくて、連盟の判断余地がある。だから、何かしら、告発したいことが生じた時、名前を出せない。このことを、弁護士も、マスコミも明確に言わない以上、それは、「真意ではなく、辛い気持ち」でしかありません。
これでは、いったい、連盟がどうなれば、決着するのか不明なままで、「彼女たちの真意」と言っているのですから、てんでに忖度すしかない。
まさに、映画の題名ではないが、「大人はわかってくれない」です。
そうではなく、このような場合、法的に訴えて、つまり精神的苦痛をこうむったと訴えて、その中で、代表選考の「一発選考化」を求めればよい。否、正しくはそれしか方法はない。
これを教えようともしない代理人弁護士どもは、世界に対して日本に恥をかかせる、まさに売国奴に等しい弁護士だと思う。
アメリカならば、まさに、連盟を相手とり、巨額慰謝料請求とともに、「一発選考化」を求めて改革がなされる。ところが、なんなのだろう、いまの日本のありさまは、「苦痛を受けた。理解していただけない」と、結局は「権利のための闘争」に立ち上がれない。相手がわかってくれると思っている。
そして、マスゴミは、「真意」と「気持ち」を摩り替えている。