笙野頼子「徹底抗戦文士の森」 | 気になる映画とドラマノート

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笙野頼子「徹底抗戦文士の森」というのを読んだ。

あきれる内容だった。要するに大塚英志という「ドラマ、アニメ、ファンタジーノベルをマニュアル方式で書くことを推奨する」人物が、「群像」で、

「純文学雑誌」は、「完売しても赤字」の状態のところを、出版社はあえて赤字雑誌を出し続けている。これは、純文学作家が、甘えて、売れる要素を盛り込んだ作品を書かないからだ、と主張したことを、笙野頼子が真剣に受け止めて、

「では、あなたはなぜその「赤字完売」の「群像」で連載を続けているのか、をはじめとする大塚批判を、あらゆる雑誌で、対談、エッセイの形で行った文章を集大成したのが、「徹底抗戦文士の森」なのだ。

ばからしいのは、大塚も、笙野頼子も、なぜ赤字純文学誌が存在するのか、の理由がわかっていない上で、検討ちがいなことを言っているからだ。

文学界、新潮、群像という赤字文学雑誌がなぜあるかというと、出版不況の恒常化のなかで、ベストセラーは芥川賞から生まれる確立が、最も高いからである。

「芥川賞」というのは、「原稿用紙の段階で候補になることのない賞」で、何らかの文芸誌に掲載されていることが、条件になっている。その文芸誌が文学界、新潮、群像という赤字文学雑誌であり、同人誌もまた、もうかってなどいない。

 しかし、赤字だからと言って、大塚英志の言うように、エンターティメント要素のある書き方にしたら、その時点で「文芸」ではなくなる。「文芸は楽しくないのだ。」そして、「優れた文芸」は、「優れているそうだ」という伝聞(つまり芥川賞というお墨付き)によって、ベストセラーによって、出版社を儲けさせる。

 こういうわけで文学界、新潮、群像という赤字文学雑誌はあるのだから、笙野頼子が真剣に大塚を批判するのもばかばかしい。というのも、明らかに、編集者は知っていて黙っているにちがいないのだから。