キム・ソナ 女の香り 15話 | 気になる映画とドラマノート

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 こんなにまじめできびしい内容の作品でも、しっかりと社長の御曹司で二枚目、高身長、性格はやさしく、道義的というロマンスの基本を押さえるところが多少違和感がないといえばウソになる。

 しかし、この15話で作者がこれだけは、いいたかったことというのはわかる。とても大事なことだ。

 まだ結婚していないおとなの娘が、ガンのような重篤な病気にかかった場合の母親の心の持ちようのことだ。(この場合、一人息子だったり、嫁に行った娘ならばどういうことになるのだろうか・・考え込まざるを得ない)

 ガンというのは、人間にとってきわめて特殊な病気で、事故や脳溢血、心筋梗塞とちがって、ガンの宣告から死までに、不確定だが、近い未来の確実な死を、本人と親近者が自覚することになる。

 これは、現代にはじめて人間が体験する局面で、医学の発達していない時代では、たぶん「ガン」は、もやもやとした痛みか強い痛みに続く突然の死という意味では他の死とは、さほど本質的に違っていたとも思えない。

 現代になって、はじめて「ガン」は、「このにぶい痛みはやがて半年数年以内に死にいたる」という自覚を、患者にもたらすことになった。それは、家族にとっても、本人にとっても、「こころの整理が必要だとも言えるし、心の整理時間が許されている」とも言える。

 このドラマは、よく見ると、そういう「ガン」という病気と向かい合う患者本人のドラマと言うよりも、医師の心、母親の心がよく丹念に考えられているように思う。

最初、娘は、自分がガンにかかったことを知らせた時の母の悲しみがこわくて、言い出せない。

 ガンであることを知らない母は、だれもがそうであるように、人の日常生活は永遠に続くと思っているとでも言うように、娘の軽ぐちを言い、けんかをしたりする。もう二人には残された時間が少ないとは思っていないからだ。

 ガンであることを知らされた母は、あわてふためいて泣くが、泣いてはいられない、と思い返して、セカンドオピニオンというのがあるのだから、もう、いますぐにでも、二人で病院に行って診察してもらおう、と言う。

 次に「どうして娘はもっと早く教えてくれなかったのか、わたしは母親ではないか」娘がガンの痛みと恐怖に耐えていた時、自分はのんきに男とデートなどをしていたではないか、と腹立たしくなって、娘を責める。そしてまた、すぐに興奮してもしかたがないとおもいかえす。

 それから、母は、亡くなった夫の墓に行って、娘のことをどうして守ってくれなかったの?とぐちってみたりする。

 そうして、この母親は、勇気をふるいおこして、娘の主治医の元に行き、娘の病状を詳しく聞くことにする。