「栄光のジェイン」2話を見ていて、「あれっ」と思わず、声がでるほど驚いたのは、それにしてもつくづく韓国ドラマには「親のある程度若い頃に為した裏切り、罪」が後で、「子どもが青年、若い女性に育ってから」物語に大きな影響を及ぼす・・・・このパターンが非常に多いということだ。
これは真似だとかそういうことではなく、まず事実なぜか、そういう要素があること、なぜか日本のドラマではみかけないというしか言いようがない。簡単に解釈はできない。なんでだろう。
「現在の人間関係の葛藤」の話をオリジナル脚本で書くには、過去の行為の影響を人の思いの動機とすればよい、ということなのか。
日本の場合、オリジナル脚本は少なくて、小説のドラマ化が多いことが、このような「似た構造」のドラマにならない理由ではある。
しかし、一方、韓国ドラマの良さは、世俗と時代の流れを映す鏡となりやすいことだ。
たとえばこの「栄光のジェイン」では、最初に「会社の横領、裏金の問題」が出る。韓国社会では新聞マスコミでこうした事件が報道されているからだが、ところが日本でも、「大王製紙」や「オリンパス」の事件があっても、日本のドラマでは、こうした事件に似た事件は出てこない。なぜかというと、漫画や小説のドラマ化が多いからというそれにつきる。
テレビドラマのオリジナル脚本は自由に作者が現実の事件を題材に取り込みやすいという利点がある。
で、韓国ドラマは時に濫造、拙速のきらいはあるが、「歌は世につれ」と同じ意味で「ドラマは世につれ世はドラマにつれ」という相互影響力をもっている。