ホ・ギュンは、現代日本なら東大法学部を首席で卒業、といったところの抜群の秀才だったろう。
三島由紀夫は当代最高レベルの知識人だったが、45歳という若さで、「切腹」というはなはだしい肉体的苦痛を覚えつつ死に直面した。奇しくも、三島もホ・ギュンも陽明学の「知行合一」を重視した。ホ・ギュンもまた、49歳という若さで、五体を鈍刀でばらばらにされるという激しい苦痛を受けて死んだ。
ちょうど三島由紀夫がそうだった。そして、三島由紀夫が共産党も自民党も同じように「奴ら」と呼んで軽蔑したように、ホ・ギュンは、科挙になんら希望を見出せず、鬱屈していた。なぜなら、科挙に合格して官吏になっても、西人と東人の対立の中身がホ・ギュンの透徹した洞察ではどちらも馬鹿らしくて、両方ともが批判するべき党派であり、決して東人派に属して、西人派を批判することに安寧できるホ・ギュンではなかった。
5話では、親友のイ・ジェヨンと師匠の二人ともが、「庶子」であるために、不当に不遇に甘んじなければならないことに、ホ・ギュンは、大きな憤りを感じて、怒りを爆発させる場面が描かれる。
朝鮮の身分制社会では、両班と賎民の身分差別も激しかったが、「庶子」(側室の子はどんなに才能があっても差別される)と「女性」の問題も大きかったようだ。
(しかし、西洋でも、女性抑圧の問題、貧乏人の問題は映画「天国の日々」や「さらば荒野」などに見ることができる。)
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