医師ってERは本当に大変な仕事だなって、わかるようにこの作品は作られていて見事だ。
同僚医師は気の緩みから、誤診して、イレウス(腸閉塞)の患者を見逃して危篤状態に陥らせてしまう。
ポン・ダルヒが担当した患者は、刑務所の受刑者で、犯罪歴のある患者にはコミュニケーション能力がゆがんでいたり、単純に粗暴であったりする患者が事実確率的に存在するだろう。そしてとくに女性医師の場合には、セクハラに近い局面や、暴力的被害もありうる。
この回でポン・ダルヒは、(過去に犯罪者の治療の最中に暴力行為の被害に遭ったこともあり)一瞬立ちすくむが、「かならずしもすべての受刑患者が暴力行為に及ぶわけではないから」ダルヒは意を決して、わたしが最初に担当したのだから、逃げません、何事も経験です、と言う。
その患者はダルヒに、手を握ってくれ、だとか、やはり嫌な態度の患者だったが、手術後、突然死を遂げる。(その後、その患者は、表現の仕方が下手だっただけで、「手を握ってほしい」と言ったのは、セクハラのような気持ちだったのではなく、気が弱っていただけだったことをダルヒは理解する。
また、別な局面で、ダルヒは外科手術の後、「感染性心内膜炎」に感染する。
心臓に持病を抱えるダルヒにとって、外科医として立派に働くという夢は、つねに自分の身体が過酷な職業環境に耐えられるかどうか、という不安に対峙することをも意味していて、わが身大事と考えるなら、それはそのまま夢を諦めることを意味していた。
そういう意味ではポン・ダルヒは、なかなかドラマでは見ない稀有な存在様式の主人公だ。彼女は「メメント・モリ」(死を想え、という中世ヨーロッパの言葉)「死を想って生きている人間」なのだ。
ダルヒは言う。
「いつか最後の瞬間が来るときにダルヒ、悲しんだりすることないよ、全力を出したのだから。そう言いたいの」
あれアン・ジュングン先生やさしいとダルヒ
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