これって知らない人が多数派と思いますが、創始したのは実は玉木文之進、よってここが正真正銘の松下村塾発祥地なのです。
前回は弟の三回忌からの仕事前だったので、松下村塾だけでいっぱいいっぱいでしたが、今回はまだまだ、盛りだくさんとなったのです。
松下村塾でここが近いのを知り、駐車場に居た清掃のおばちゃんにお聞きしたのですが、手を止めて丁寧に教えてくれました。
「こっちは聞きやすいですね。東京じゃスルーされること多いから…」
「そんなこともないだろ。」
「でも、あんな風にはなかなかいかないですよ。」
「ググれカス!とか?(笑)。」
正味な話、ググれば良いんですけどね。
記念館でもありましたけど、現場でないと体感できない、せっかくの一期一会の交流の機会じゃないですか?
だから旅の食事や酒場では普段はあまりやれないけど勇気をもって話しかけてみます。
最大の難関=見ず知らずの一見がこちらから話しかける。
要は話のとっかかりですが、旅行者ってここのハードルはかなり低いですよ。
「○○から来たんですよ。名物食べたいんですけど。○○最高なんですよね?」
実に簡単!
是非皆さんもやってほしいと思います。
本当に地方の人って基本は親切だし、話し好きな人も多いので…それは実験済みです。
(ごくたま~に不快になる場合もあり 笑)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20201110/22/kudo-shinagawa/cc/9a/j/o1080060714849157863.jpg?caw=800)
1855(安政2)年、それを吉田松陰が継承しました…となってますが、Wikipediaでは1857(安政4)年、どちらなのか?
これだけを見ても、1つの情報がすべてではありません。
「1つの情報がすべての真実」
切り取り、捏造、偏向、スポンサーへの配慮など、実情はまったく真実とはほど遠いのに、多くの人の常識になっているのが、テレビが流す報道です。
安政の大獄は1859年
身分を問わず広く門戸を開き、学問以外の水泳などの指導も行い、後世にまで残った教育の軌跡はほんの僅かな期間の輝きでした。
「ここで二人が勉強してたんですよ。」