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3年ぶりの田原坂。通天閣と同じく3回目にして初の晴天となりました。

3年ぶりとは思えない変わらぬ風景
大規模な開発もないので、このまま留め続けてくれるのでしょう。

【弾痕の家・晴天ver】
日本赤十字社の前身、博愛社はここ田原坂で誕生しました。

多数の死者を出した戦場とあって、心霊スポットにもされてますが、自分にはパワースポットでしかありません。

最後に出た九州地区予選の後、弟と桐野利秋の名前を探してから5年、もう5年のような、まだ5年のような…

https://ameblo.jp/kudo-shinagawa/entry-12073610625.html


西南戦争開戦から田原坂への過程はその時書き尽くしたので他のネタで

昔話のようで、たった143年前の出来事。僅かな期間で、日本は当時とまったく違う国となりました。しかし、143年後はここまでの激変を越えた想像もつかない世界が待っているでしょう。

豪快なんですけど、鎮台兵を舐め過ぎてました。やはり彼らもサムライであり、それが加藤清正の熊本城で決死の籠城戦…簡単に落とせるわけもなく、田原坂での泥沼へと向かいます。

大東亜(太平洋)戦争でのミッドウェー海戦と同じく、西南戦争最大の分岐点、ここで主戦力の大半を失うこととなりました。

【薩軍陣地視点】
体感展示室、本物の銃撃、抜刀音、リアルに再現された戦場は大迫力。

薩軍は体格が大きかったのですが、肉の力だったのでしょう。
ローストビーフ美味そう、とはいえ、香辛料も今とは比べものにならない時代。おそらくマックの方がウマイぐらいだったでしょう。

相手は、当時としては大柄で、ほぼ自顕流の使い手、政府軍の恐怖は凄かったと思います。

【官軍視点】

内容忘れてて、改めて思い出しますが良い。
と同時に、今の世代に通じるわけもない世界です。
時代劇が無くなったのは、質が落ちたのもあるけど、義とか信などの道が死んでしまったのが大きな原因と思います。

殺し合いにどちらが正義なんてないです。
西南戦争は日本最後の内戦にして、侍と日本刀最後の戦い。これにロマンを感じるのは当たり前!

北九州って荒れてるって聞いてて、逆にこんなのが通じるかと思いきや、そうでもないです。

あの時代の若者が命を賭けてこそ開けた道の上に生きている…今の学生にも気づいてほしいけど、ほぼ無理ですね。
そんなことに思考が向けれないほど、ネガティブな雑音と暗い未来、そして余計な情報ばかり見せられてます。

【四斤山砲】
政府軍の戦費は4222万円
(なんと一般会計支出の7割!)

対する薩軍はたった100万
(とはいえ、警察初任給4円の時代)

これじゃ精神力も何も関係なし、いつの世も金ですね。

こんなの何年も長引いてたら植民地待ったなしでした。

起つべくして起ち、負けるべくして負けた…ここはアメリカ戦と同じです。

前も書いたけど、日露戦争の旅順攻略戦を越える弾丸使用量。弾と弾がぶつかるかち合い弾が無数にあったほどの凄まじい戦いでした。

壮絶な戦闘の体験、逃げ遅れた兵を匿った感動の話等々。

自顕流またやりたい。

そして、日本刀を終わらせた銃。一騎当千の兵が無双するとか出来るわけもなく、以降は本当につまらない戦いとなりました。

これで入場料300円は安いです。 
弟にも見せたかった…

その後、田原坂へ

車のすれ違いは困難な道幅ですが、相変わらず対向車は現れませんでした。

西南戦争は中央政府への反乱でした。しかし

サムライ制度は終わり、給料は90%削減されます。

例えば今の公務員に置き換えてみれば…これに不満は仕方ない気もします。

消費税ほか税金は上がり続けるのは確実な未来ですが、どこかで武力はダメにしろ、国民の意識が変わる必要はあるでしょう…というか、おそらくその時は必ず来ます。

興味のない人にはまったくオススメできないスポットですが、あの時日本で何があったのか?
これは必須教育です。


山鹿温泉まで17キロ