いよいよ真田庵、ミュージアムから100メートルほどの近所です。

ここで昌幸と幸村が生活していたのか…と思いきやこの近くなのだそうで、高杉晋作療養の地と同じく消化不良な感じでした。

とはいえ、この辺で生活していたのは間違いなく感無量です。

大坂冬の陣まで後2年というところで昌幸死去
翌年、信繁(幸村)は出家、好白となりました。
昌幸が健在だったなら幸村の出番は無かったかも知れません。

武田信玄、織田信長が後3年生きていたら?
長寿の徳川家康が短命だったら?

今より寿命が遥かに短い時代、これも歴史の妙味です。

徳川を油断させる為だったという説もありますが、暮らしはかなり苦しかったようです。
そのまま朽ち果てていた可能性の方が高かったのに、一転して豊臣からの黄金200枚、銀30貫でのヘッドハンティングはかなり嬉しかったのではないでしょうか?

真田庵を後にして近くの真田古墳へ

長野県上田市の人ならば一度は登ったことがある太郎山からも上田城への抜け穴があり、上田合戦でも使用されていた伝説があります。

これだけの場所です。
やはり史跡はその背景や知識がないとまったく面白くはありません。

時代劇が廃れたのも、演者や脚本というより、義とか信などの理念が消えて、命を賭けた侍に共感する術を失ってしまったのが大きな理由と思います。

長距離運転で腹が減りました。

つづく