何故、和歌山城に寄ったのか?

真田幸村の故郷、長野県上田市で小学4年まで過ごし、幸村最後の地安居神社にも2度行った…となれば、大阪冬の陣まで、14年間という長い雌伏の時を過ごした九度山に必ず行かねばと思っていたの思い出しました。

調べると泉大津市からは40キロ、これは行くしかない!
となった所で少し回り道ですが、前回九度山とともに行きたかった和歌山城もおさえることにしたのです。

ここで長野行きがなくなり、(いつもですが)まったくのノープランです。

1585(天正13)年、築城したのは豊臣秀吉の弟秀長で、当時は和歌山でなく「若山」だったそうです。

結構な登りです。まさかこの後長い階段を歩きまくることになる…その序章だったなどと、この時想像もしていませんでした。

それでも、ここは肩慣らし程度で

天守閣前の広くなった場所。そこには紀州といえば「梅」南高梅の木がありました。

築城から2度も出火していたのに、更に戦後米軍施設として使用されていた時も出火。災難続きですが、日本100名城の一つです。

登るのは面倒でも、この眺望が平山城の醍醐味です。
製本で働いてた頃の退職まで3年の先輩が、退職後移住しようと決めてたのはここ和歌山県でした。
その頃、和歌山の良さを語ってくれましたが、ここに来ると実感しますね。

今一つ良い物件がない結果、現在長野県に住まれてます。

早朝だったので入場は諦めました。

「オススメの城は?」
と問われたなら

「ほいたら和歌山城やわ」


と、言って過言ではないでしょう。