【※時間がなくて遅くなりました。
中途半端なものにしたくないので、前後編に分けます。】
松蔭神社を巡り、外にでると吉田松陰歴史館がありましたが、既にギリギリの時間となり少し迷います。
「ここ入って仕事に間に合うだろうか?」
結果、仕事入り時間の1時間前に帰ることができました。
連休中でごった返しの駐車場…かなり待たねばならない可能性も高かったのですが、何故か1台の空きがあって、すぐに駐車できました。
松蔭先生と弟が、「このままでは仕事に間に合わんぞ、アホなヤツや」と、助けてくれたのかも知れません。
等身大の蝋人形で、その短くも熱い、激動の生涯を再現しています。
5歳で山鹿流兵学師範、吉田大助の養子となり、厳格な教育を受け…6歳で家督を継ぎました。
平戸藩士、葉山左内は陽明学者であった。
松蔭は多数あった左内の蔵書を借りて読破すると同時に筆写を始めた。
彼の勉学のやり方は、読書しつつ要点を一々抄録することだった。
彼は門弟に
「書物は読みっぱなしにするものではない、必ず要点を書き取ることが不可欠の勉強の方法である。」
と教え、自らも実行した。
しっかりと表記しています。
「自衛隊廃止」「9条を守れ」
無差別に殺される状況でもそんなことを言うのでしょうか?
やらなければやられる…それを知らない、先人に感謝すらできない。
そして、それを恥とすら感じられない…
見事なアスペルガーであり、サイコパスですが、無関心層も含めれば、今や日本人の8割以上です。
つづく