人間は「宿題を持たされている」
毎日がどんどん過ぎて行って、今日はもう7月も20日です。
ついちょっと前に7月のなったばかりなのに・・・。
僕としては名古屋場所がもう7日目だという、落ち着かない日々です。
「今場所はどうなるのやら」
それはどうでもいいのですが、くだかけ農園の渡り廊下の所にある「キンカン」に花がたくさんついています。
毎年この季節が来ると「キンカン」は忘れずに咲きはじめます。
どうして、キンカンはこの時期をおぼえているのだろうと感心してしまいます。
一方、人間はよほど頭が悪いようで「自分はどう生きたらいいか」というテーマはすぐ忘れてしまうようです。
世の中は「人生の味わい」も表面的な所で、楽しいだの美味しいだの、気持ちいいだの、得しただの損しただので過してしまうのです。
花を咲かす季節さえ忘れてぼんやりとウカウカとしているのですからね。
そこで「人生には宿題あり」と受け止めなおすと、「どうして僕らはこの地球に暮らすようになったのだろう?」ということから始まって、「不思議」としか言いようのないようなことばかりです。
その不思議が僕らの宿題の第一歩なのです。
「不思議」と思うようなことを書きだしたら、たくさん出てきます。
謎のようなことばかりです。
答えのない宿題がたくさんあります。それでもそれを温めることがとても大切なことなのです。
「キンカン」は秋にはちゃんと実をつけていきます。
人間もこのようにスッキリと「宿題を解いていけるような存在でありたい」ですね。
まずは「人生には宿題がある」ということを確認してください。
世の中の表面でご活躍の人々に、あえて「人生の宿題」を考えて、味わってもらいたいですね。大事なことですから。
ウカウカとゴマカシゴマカシしてはいられなくなるでしょうね。真剣に宿題に取り組まなければと。