「社会」という土俵ではなくて
神戸女学院の名誉教授の松田高志先生のコラムに「いのちの土俵で」という文章があります。
毎日、相撲をテレビ観戦しているので、またその文章を思い出しました。
世界中に相撲に似たものはあるようですが、日本の相撲のような「土俵」があるのは珍しいようです。おまけにその土俵に塩をまいて清めるというようなのはまずないでしょうね。
裸でフンドシいっちょで力比べをして、その土俵から出たら負けなのです。
最近は外国人力士も増えて、どうやら「土俵上の神事」としての力比べを理解していないような乱暴な下品な横綱もいましたね。
強ければいいっていうわけではなくて、横綱ともなれば「心技体」三拍子そろっていなければ品位に欠けるのです。
さて、松田先生がおっしゃりたいこととは離れてしまいましたが、松田先生は僕らは「社会という土俵」で頑張るのではなくて「いのちという土俵上」で生きているのではないかとおっしゃるのです。
その「いのちの土俵」というのは、内と外のない無限に広い土俵だから「ただ力いっぱい行きさえすればいい」という場所なのだと。
なんだかとても気持ちが楽になりますね。
「内は福・鬼は外」というのではなくて、足の引っ張り合いしたり、いじめて外へ押し出すなんてこともない、清々とした場所が「いのちの土俵」のようです。
松田高志先生はいつも面白い分かりやすいたとえで「人生の教育」をして下さるのです。このコラムは『いのち輝く子ら』ー心で見る教育入門ーという本に収録されています。