「自分」という謎を解く

 

 「人生の宿題」というテーマは、僕が主宰している『くだかけ会』で出している「日めくり・人生の宿題」からなのです。

 

 最近このブログを読んでくださっている人が増えて「くだかけ」って何だろうと思ってくださっている人もいる様なので、「くだかけ会」のホームページでも見てください。

 

 さて今日10日はその日めくりは「自分とは何だろう」という問いかけの一枚なのです。

 

 アゲハ蝶の幼虫を数頭飼っていますが、この子たちの「自分」という意識は多分ものすごく希薄だろうと想像できます。そう思うと目の前の川に住んでいる魚たちにも「ぼく」は「私」はという「自分意識」は希薄なようです。

 

 家でたくさん飼っている「ニワトリ」(500羽)ぐらいになると「自と他」の区別はかなりハッキリしていますから「ぼく」とか「わたし」という意識はあるのでしょうね。損得の感情も自分の生命を守るためにあるようです。

 

 犬も今まで十数頭飼ってきましたが、犬ぐらいになると、さらにかなり自己意識ははっきりしています。

 

 そしてサルになると、人間の出来損ないのような人といい勝負と思うぐらい「自分中心」のエゴも発揮しています。

 

 さてそこで人間らしい「人生」となると「ぼくが」「私は」「自分の」「自分に」「自分で」等々の取り扱いでかなり、内容と質が変わってくるのですね。

 

 それは、相手も「自分」という「自己意識」を持っているからその取扱いで、人生の質が変わってきてしまうのです。複雑で難題ですね。

 

 その他「自分とは何だろう?」の問い掛けを僕は「人生ドリル実践講座」などを開いて、ご参加の皆さんと互いに「自分」を磨いているのです。

 

 そもそも、「くだかけ会」でやっている「人生科」は「自分とは何か」「人間とは何か」「自然との関係とは」という3っつの宿題を解くことなのです。

 

 それで、度々このブログでも「自分」というテーマに迫って行く予定です。

 

 わが人生だけでなく、人類すべての宿題でもあるわけですから。

 

どうして人間を作った神様はここまで「自分」という宿題を難しくしたのでしょうね。だからこそ「生きるということは味わい深い」のですけど。

 

 またそのうち続きを書きます。