全体の中の『自分』
皆と『自分』の関係
たいていの人は、いろいろな人たちの中で暮らしているので、小さな集団でもその中での『自分』の位置づけというのはかなり気を使います。
どのように気を使うかというと、「みんなの中の『自分』はどう存在すればいいか?」ということです。
実は人間はずっとそういうことを「宿題」にして来たのです。だって難しいのですからね。
よく言われるように「自分中心に地球が回ってる」と思い込んでいるような子どもも、ある年齢になると、それじゃあたとえ小集団であろうとも嫌われたり、イヤな思いをしたりすると気付くのです。
ところが、大人になってもどうしても全体の中の自己把握ができない人がいます。大人になっても「自分」と「みんな」の位置づけがバラバラのままの人がいるのです。そういう人は「自分がやっていることと皆のつながり」がつながらず「自分は自分」「みんなは皆」で、どうしてもつながらないので、結局「自分の世界は自分の利益」で終わってしまい、そのほかの人への配慮が足りないのです。
みんなの利益と自分の利益が同じである時には「イイ人」でもそうでない場合は「どこを基準に生きてんの?」となってしまいます。
実はこれ「人生の宿題」としては大ごとでして、「社会の在り方や、方向にまで」影響があるのです。今の日本社会はかなりそのようなことで「教育」の弊害が出てしまっています。
要するにアッチとコッチがバラバラなのです。
国の中心にいるような人たちまで「自己中心」で平気でいるのでゴマカシがまかり通っています。困ったもんです。