やっと書きあげました。あいち子ども文化団体協議会の会報とともに会員の先生方に送りました。戦没した船と海員の資料館には11月にもう一度行きました。7月の時は祖父の消息がわかった⁉️というだけでかなり動揺して、後からわからないことが出てくるのを質問したり確認したりするために再訪しました。資料館ももう一度じっくり見ることができ、当時の日本の社会の有り様もわかってきました。今の世相の危うさにも通じるものがあります。祖父は祖母の家に婿養子という形で入ったのですが、家族とうまく折り合えず出奔したようです。鹿児島から福岡へ。父の出生届は福岡なので祖母は追いかけて行ったんだろうなぁ。昭和3年には船に乗っていた様子。牛乳屋だったからか、料理人として賄い部にいたようです。昭和13年の国家総動員法に始まり国が国民を戦場に送るため次々に法改正?法改悪して船も船員も軍の支配下のもとに動員された時代、NOは言えない。昭和18年頃の南海派遣からはなんとか生還した祖父の最後は中国に向かう黄海。船の写真ももう一度探すうち見つけました。そんなかんなをやっと一枚にまとめることができた。そして思う今の世相。突然の選挙⁉️なんで❓と思いながらも戦争へという選択はしたくない。80年経ったらわからなくなったのか❓日本もガザと同じ景色だったことも。NOと言うこともできず帰らぬ人になる運命も。     

母は絶対戦争はしない、戦争にならないように努める側に立つ。ところでどうしてこのことを大きく取り上げないのか❓物価高より何より不戦が一番大切だと思う。右も左もどっちでもいい。人間は人種、性別、信仰、信条みんな違うのだから。ただ不戦ということだけ同じならいい、とつくづく想い願う。      

ボーダーの中に動物が遊ぶ更紗。丸い顔の猫なのか?いや鹿より大きい?虎じゃないか?想像して楽しんだ更紗。あっという間にお嫁に行ってしまったね。ジャワ更紗を描くチャンティンを持つ手は、あのインドネシアの激動の時代の中でも、誰かの健康や幸福を願いながら伸びやかな線を描いていたことを想う。不戦と平和は地球の願いで祈り。