何日か前のはなし。
たまたま広島の廿日市に住む、親戚の80歳になるおばさんから我が家の歴史など昔話を聞く機会がありました。
流れで、
『70年前の8月6日8時15分はどうしてましたか?』
という話になり、おばさんは当時小学生。
学校で普通に授業を受けていたそうです。
当時の学校の写真も出してくれ、校舎の向きや広島市内からの方角を丁寧に教えてくれました。
8時15分。
ピカッと窓から入ってきた明かりで黒板が光り、
「ドーーーーーン!!!!」
っという聞いたことのない音で窓ガラスが揺れたそうです。
すぐ先生が、
「伏せーーー!!」
といって日頃練習していた通り、目と耳を指で塞ぎ、机の下にみんなで隠れたそうです。
しばらく何が起こったかわからないまま、先生も動揺しながら家に帰されたそうです。
爆心地から約13㎞ほど、かなり離れた場所にあった五日市にあるおばさんの小学校は窓ガラスも割れず、怪我人はいなかったそうですが、家に帰ると障子が爆風で破れていたそうです。
次の日、とりあえず状況が分からないまま学校に行くと、トラックで市内から怪我人が何人も運ばれて来て、訳のわからないまま手当を手伝ったり、出来ることをしたそうです。
そして時間が経つにつれ、学校横の川の周りに穴を掘り、死体を埋めていく作業もあったそうです。
戦後70年。
私は広島に生まれ広島で育ち、8月6日には必ず登校日があり、授業で平和学習があり、学校の図書館には必ず、はだしのゲンがありました。
周りには戦争を経験した祖父母や被曝に関係した人達が何人もいます。
でももう何人も亡くなってます。
本当に戦前、戦後を生き抜いた人たちはいなくなってきています。
話を聞けるのは今大人になっている私達や若者たちです。
直接話して伝えていけるのも生きている人だけです。
今日は快晴の原爆ドームに行きました。
恥ずかしながら、新しくなって平和記念資料館に初めて行きました。
資料館には修学旅行生や外国人、たくさんの人がいました。
改めて行ってみて、見方も少しずつ変わりました。
核が人体に及ぼす影響。
核兵器の恐ろしさ。
今の私が感じること、衝撃を受けることが沢山ありました。
今でも核兵器所有国は沢山あります。
数も思ってたよりずっと多い。
そして核所有国が核実験を他国でしていることも改めて衝撃でした。
私が知らないだけで色んな事情があるのは分かります。
でも何故全く核と関係のない国で、場所で、そんな事が出来るのか。
核実験でどれだけの自然と生き物と地球を壊しているのか。
考えても考えても納得いかない事だらけです。
でも資料館の最後の写真を見て、
自然の強さに助けられて地球上の生き物は生きていけるんだと、実感しました。
広島。長崎。沖縄。
世界中の争いが続く国
や
今のパリ。
キレイごとだけではないけど、
私が言えたことではないけど、
願わくは、
一人一人、自分のまわりの小さな幸せから
地球上の自然、生き物の大きな大きな幸せになりますように。