昨日、岩合さんの猫歩き見てた同居人が、
2日前くらいに戦争孤児のやってたんよね。
その翌日かな、若い船乗りたちが沢山、
落とさなくていい命を落とした話もやってた。
同居人言った。
「今まで、こういうことがあったから、
こういう人達がいたから、
自分も頑張んなきゃいけないって、
そう思ってきたけれど、
今、この岩合さんの見てたら、
この、猫がいて、穏やかで平和で幸せで、
っていう光景を見てたら、
これでいいんじゃないか……
こっちがあってるんじゃないかって思えた」
阿佐田も、
「戦争の方を肯定しちゃいけないんよね」
っていうような言葉を返してた。
『餓死』なんてしなくていいことだって、
ここ数日間、同居人何度か口にしていた。
あんなことがあったのは事実だけれど、
そもそもあんなことはあってはならないのだ。
だから、
あんな戦争に、
突き進み過ぎてしまったことの方を、
あの時の一部の大人たちの方を
全否定しなくてはならなくて、
わたし達今の世の人達の平和と幸せの方を、
厳しく律していく必要はいっさいないのだ。
水木さんも言ってたよね
ゲゲねそう言いたくなるのは理解するけれど、
戦争で苦労した人達がいるからと、
若い人達に、
若いというだけで、
戦争を知らないというだけで、
何か諭したりする目上の人がいるけど、
阿佐田その考えあまり好きでなかった。
だって、自分たちだってその時代にいたら、
同じことしてたはずだから。
その逆もそう。
彼らだって今の時代の人だったら、
スマホ片手に楽しくやってるはずだし
お馬もやってるよ
それでいいし。
同居人、昨日の岩合さんの猫がきっかけで、
自らの答えを出したんだと思う。
未来へ向かってそちらを選んだ
一般的な答えとかでなく、
自分なりの、
自分のこれからの人生を生きるための答え。
もう充分やってきた。
辛くてどうしようもなくて、
苦しくて孤独で救われない、
絶望的な気持ちも理解できるようになった。
でも優しさからそこにずっと寄り添って、
一緒にいないでいい。
本当は、
生きていたら、
この時代だったら、
謳歌したかった平和と幸せを、
一緒の気持ちで体験していけばいい。
罪悪感は感じなくていい。
彼らもみーんな一緒だもん。
ゾロゾロ連れて行こう~
見えちゃう人には、
大変っ……あの人お祓いしなきゃ……
と思われるくらいゾロゾロ行こう
競馬場にも行こう
その時には札幌記念はG1になってるかもよ