幼少期からここではとても書けないような虐待を受けてきて私の人格は数十人になった
その時その時の状況で主人格を守るためにそれぞれの人格が対応する
だがその中には私である主人格の希死念慮を遂げようとする者もいて記憶のないまま3度危篤になった
当時私は私の全てを理解してくれる夫と結婚していたが記憶のないまま致死量を軽く超えたオーバードーズなどでこんどは無理かもと医師から言われ集中治療室にいた
今でも覚えているのは真っ白な集中治療室に項垂れる夫
母にも連絡はしたけど来ないと言われたそうだ
この時の夫は10歳年上で趣味も話もよく合い本当に私のことを大切にしてくれた
その数ヶ月後私は離婚を切り出すのだが
本当に非の打ち所のない人だった
だが
私は彼に常に自立しなさい
そして薬で激太りしてからは抱いてくれなくなった
私が欲していたのは温もりだったのだと今では思う
別れる時、僕の老後は大変寂しいものになると思う
上手く愛せなくてごめん
胸に刺さる言葉だった
ただ抱きしめてくれれば私たちは一緒にいられたかもしれなかった
旅立つバスを彼は最後に走って追いかけてくれていた
涙が止まらなかった
愛していてもすれ違いで私たちは今全くの他人になってしまった