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まぁきのふと思ったこと

日頃思ったこと、感じたこと、そのままの気持ちで書いてます。

度々、ここで長女が不登校だったことを書いてきました。そのいきさつを・・・

長女が最初に不登校になったのは、小学5年生の時。担任だった男の先生と相性が合わず、先生に嫌味を言われたことでした。
それまでは元気に登校してた長女、ある日突然「行きたくない」って言いだしました。
当然、休めば担任が様子を見にやってくる。普通なら喜んで顔を見せにいくはずなんだけど、長女は絶対に行かなかった。
6年生で担任が女の先生に変わっても、クラスには行かず、保健室登校・相談室登校をしてました。
6年生の夏、引越しをし環境が変わって学校も変わり、卒業までの半年・1日も休まず登校し卒業しました。引越し先の先生は男性でしたが、子どものことを1番に考え、少しでも気にかかることがあれば連絡をしてくれる…そんな先生でした。その時の先生とは、長女が中学を卒業した今でも何かと気にかけてくれてます。長女にとっても母親の私と同等に相談できる唯一の人なのかもしれません。

中学校に入学してしばらくしたら、また不登校になった長女。この時は、自分以外の子に向けられた暴言を聞いてから…
中学でも、「クラスに入れなくても保健室登校も一つの手段」「無理にクラスに入る必要はない」の助言で、保健室登校をしてきました。
2年生からは、始業式・終業式・合唱コンクール・体育祭…大きな行事のみに登校してました。

そして卒業式…「これたらきてね」の友達の言葉。気心しれた友達からは「こなかったら許さない」の言葉(笑)担任の先生からは「卒業生の席に座らなくてもいい。◯◯◯◯◯(←長女の名前)を呼びたいから来てくれたら嬉しい」の言葉。
卒業式に一緒に出席できただけでも、私は嬉しかった。
中学の担任が3年間、同じ先生で良かった。この一言。

長女が不登校になった時、旦那は怒りました。そして長女は萎縮してしまった。勘で「この状態で長女を1人にしたら何が起こるかわからない」と思って、できるだけ一緒にいる時間を増やしました。
家族全員が不登校を理解するのは難しいと思う。でも、家庭にいやすい雰囲気を作ることは大事なこと。

昭和の時代なら、「そんな嫌味言われたくらいで休まないで学校に行け」…これ普通でした。でも、今は時代が違う。親も頭を柔らかくしなければならない。
もっと強く言うなら、子育てに無関心・学校行事に参加もしない父親が、不登校になった途端口をだすな…と言いたい。
「子育てに無関心・学校行事に参加もしない父親が口をだすな」←私が旦那に言い放った言葉です。

せめて、母親だけは、子どもの気持ちを理解して欲しい…子どもの心に寄り添ってあげて欲しい…
母親ならわかるはずです。子どもが笑顔でも目が笑ってない時や声のトーンがおかしい時。そんな時は、優しく接してあげて欲しい…