予想通り長雨でめちゃめちゃ調子が悪かったです。

雨と一緒に泣く日々が続いてしました。

雨で頭痛が続き、湿気で身体が怠く、メンタルダウンで思考が短絡的になり、忘れていた嫌な記憶が蘇りました。


普段はメンタルバランスを崩さないようテレビのニュースを見ないようにしています。

彼を亡くしてからはテレビで遺族のインタビューが流れると出勤前にも関わらず、心から同情してしまい、気持ちをもってかれて泣いてしまいます。


なので、ニュースは大河ドラマの後に流れるものしか見ていません。

メンタルダウンしてるとどんな小さな出来事にも影響を受けてしまうので、見ないのが最善だと考えています。


民放放送を見なくなった影響は彼が大きいでしょう。

彼に許されたのはNHK放送だけでした。

民放放送を見ていたら怒られたのにはびっくりしました。彼は結婚してから自分ルールを押し付ける傾向が増えていました。


他にも自分ルールが強かったので、何度も喧嘩しては和解を繰り返しました。


最初は彼の自分ルールに不満がありましたが、慣れれば何とも思いませんでした。

私はこだわりが少ない上に折れられる人が折れればいいと考えていました。


人とのテレビの話題には付いていけなくなりましたが、不自由はありませんでした。

むしろ、自分が好きなものを見られるということに大きな意味を感じました。


彼と結婚してから、自分で選択して決断することが増え、精神的に自立した気がします。

アドラー心理学を身を持って体験することが出来ていることにも気付きました。


 

 


私が獲得した全ての代償が旦那の死なので、割りに合わないとは常々思っています。

彼との早い別れは覚悟していましたが、彼を失うことが地を這いつくばるような日々を送るとは想像していませんでした。


彼の臨終に立ち合った際に心が粉々に砕けた音が聞こえ、私の人生も一緒に終わったと痛感しました。


同時にこれ程の痛みと苦しみを何度も受け容れるのは無理だ。

二度と人を愛することはないと決断しましたた。


現在は身の丈に合わない家に住み、少子化に貢献出来ず、社会的に見ると自分の意義が見い出せません。


しかし、どんなに惨めでも私は生きていかねばなりません。

私が死んだら、彼を思い出す人がいなくなります。それは完全な彼の死を意味します。


そう言いつつも私は他人に忘れられてもいいように自分の為に行動しています。

矛盾した行動がさらなる自立に向かっているのは皮肉でしかありません。


穏やかに生きるという目標を貫くのは思った以上に大変です。