そろそろ色々なことが無痛になってきました

まだギリギリのところを保っているので
今の内に昔話を載せておきます。
(前にも書いたような書いてないような)



私が初めて、自分以外の誰かの可能性を
信じるようになったのは高校一年生の頃です

それまでは正直、The人間不信で、
自分最優先を絵にかいたような人でした。

その時の四年生の生徒、実力はサーキットF2で100点くらいだったので、高いとは言えませんでしたが、その《眼》が私を変えてくれました。
珠算6級のテストを何度やっても60点(合格点は各種目70点)。問題数は80点分くらいを解いて、20点分くらいをミスしてしまうといったところでした。

「今日こそ合格しよう!
 大丈夫。ずっと見ていてあげるから」
という、私の言葉がどれだけ効果があったのかはわかりませんが、その生徒はその日、本気になりました。

普段、一時間しか練習をしていないその生徒でしたが、その日は二時間、ずっとテストを繰り返しました。

結果は、常に60点~65点。
40点や50点台は全くなく、
常に「あと一問」を二時間ずっと連打でした

二時間、経過したところで
「まだもう一回やる」とリトライし、
それでもまた60点。
何度跳ね返されても、
決して衰えることのない「眼」の力。


その時の「眼」が、
今でも私の記憶に残っています。

誰よりも真剣で、一生懸命で、
それまでに私の見てきたそろばんに取り組む誰にも負けない、誰にも期待したことのなかった私が初めて、「絶対伸びる」と確信した「眼」でした。

それまでF2が50~60ほどしかとれていなかったところから100点をこえ、
(当時は月に二回しかサーキットをやっていませんでした)
暗算力の伸びも素晴らしく、
6級も後日、合格できました。


その生徒とは、小学校の校庭にとどまらず《学区内》範囲での鬼ごっこをしたり、
夏祭りに一緒にいったり、
家で一緒に宿題をやったり、練習したり、
とっても仲良くさせてもらっていました。


・・・その後、私が「そろばん」を選択してしまったことは今でも本当に申し訳なく思います
「練習早めに終わらせてご飯食べよう」
「一緒にゴルフ行こう」
せっかく誘ってもらったのに、
私が断ってしまいました。

その頃から、そろばんに重きをおく私になっていったのだと思います。

彼女は辰年の代の生徒なので、今は大学一年生(専門学校かな?)のはずです。




9年前の話でしたね。


それ以来、その「眼」が忘れられず、
長い期間、色々なそろばん選手の眼を見学させてもらう時間が長かったです。





その7年後、F1で満点レベルになれるくらいの実力の生徒に出逢いました。

「もう一回、もう一回だけやりたい」
この言葉も、真剣な「眼」も、
もう一度巡り会えたことが奇跡的でした。

その生徒に「99+1」のやり方を教えている頃から私は「大きく伸びる」ことを確信していました。

夏休みの8:00~21:00練習も
「明日は海に行く」と言っていた翌日に
「天気がよくないからこっちにきた」と
練習に来たり、
一緒にラーメンを食べたり、
昼休みに公園に遊びに行ったり、
もちろん、そろばんの実力も
メキメキと伸びて、他の生徒たちみんなが目標としたくなるような、人を惹き付ける力が彼女にはありました。

「一度もトロフィーをもらったことがない」
と言っていた本人の願いを叶えてあげられなかったことが、大きな心残りの1つです。




可能性は、願望を強く持ち続けることで
大きく拓いていくことができるものです。


「○○したい」が初めの一歩です。

そのためにどれだけの行動ができるか。


自分のためでは限界がすぐに来ますから
そうではなく、
自分を信じてくれている人のために
自分の可能性を伸ばしていくべきです。


本当に願望を叶えたいのなら、
「達成できる」ことを確信しなければなりません。「できるかな」ではないのです。
「絶対にできる」ことを知っている人が
本当にできるようになるのです。



「○○したい」に「だけど」がついたら
叶うものも叶わなくなってしまいます。


「できないなんてことはない」ことは
絶対に知っておくべきだと私は思います。



閉ざすも伸ばすも、その選択次第。
少なくとも私は、絶対に伸ばす方を選ぶべきであると思っています。


やれるだけのことをやったけどダメでした。
というのは、自分で言う言葉ではなく、
周りの人から出てくる言葉であると思います
(出てくるかどうかも不明ですが)

私も、生徒には「やれるだけやろう」とは
話しますが、自分で「やれるだけのことはやった」と使っていた時は一度もないはずです


・・・そもそも「だめでした」とならないようにするべきですね。


《自分よりも大事》な誰かのためには
「だめでした」は使ってはいけないのです。

先に輝くか、後に輝くか、
なら後に輝く方が良い。確かにそうです。

でも、いつの時も輝いていたっていい
それができるのなら、それが一番良い、
と私は思います。



誰のことも信じられなかった私が、ここまで
自分よりも大事にできるようになれたのは
かけがえのない出逢いのおかげです。


その人が大事に思う人の大事に思う人は
どれほど大事な人なのか。


自分の可能性を託せる人が
さらに自分の可能性を誰かに託すとなったら
その誰かの可能性がどれほど大事なのか。

イメージできますか?



今まで、分教室を合わせて、7教室、
現在の教室が8教室目です。
全員合わせると何百人(百の位を四捨五入すれば四桁なはず)のそろばん挑戦者に出会ってきました。


今現在、そろばんに挑戦をしている方々は
絶対に私のように「ただ続けているだけ」の人にはならないでください。
続けながら何かを叶えていける人になれるようにしてください。
願望というのは、字の通り、願い望みです
いくらでも大きいものを持っても良いのです
というより、より大きなものを持つべきです
小さくしないでください。
諦めないでください。
絶対に叶えてください。
それを絶対に約束してください。
何年も経った後に「だめでした」となってはいけません。そろばんに限らずです。
時間を巻き戻すことはできませんから
今のこの瞬間を大事に必死になってください

常に必死になっていれば、
良い結果は自然とついてくるようになります

必死になることを忘れずに。
必死になる意味や方向や方法を間違えずに。

人生にはワンチャンスしかないことが
たくさんあります。
たくさんのワンチャンスを
絶対に活かせるようにしてください。


【追記するかもしれません】








最後に・・・ 明日、成功しますように

今はそろばんのことよりも何よりも
明日の成功を明日が終わるまで祈っています

本当に、無事に成功しますように