どーも、あけおめKTA(ムケちゃん)です。

気づけばアッという間に2014年。
っていうか、もう5月なんだね。
エヘヘ。

ダラダラと書き続けた2012年山口旅行記ものらりくらりと第5弾。


前回
食欲に負けてムチャをした挙げ句、
お目当ての焼きカレーにもありつけず、
約束の時間まで残りわずかとなってしまって慌ててタクシーに乗り込んだものの、
目的地までの道はプチ渋滞。

果たして無事に待ち合わせ時刻に間に合うことが出来るのか!?


筆者のやる気も少々落ち気味の第5話を
前回のつづきからどーぞ!


「おしのび山口~その⑤~フグ・フグ・フグ編」
{9818959A-9C30-45AA-90B1-C5C4CD58B53F:01}




タクシーが関門トンネルの入口にさしかかると、さっきまでスイスイ流れてた車の列がピタッと止まってしまったござる。


拙者「だ、大丈夫でござるか?」

運  「あー、ここはいつも混んじゃうんスよねー。」

拙者「そんな…、あと10分を切ってるでござるよ!」

運  「ま、ここ抜けちゃえばすぐですから、パパーっと行きやすよ!」

拙者「たのむでござるよー、たのむでござるよー。」

拙者の心配もよそに
たしかに運転手のオニーチャンが言ったとおりトンネルの入口を抜けてから車列はまたスーっと流れ始めたでござる。
それでもまだまだ安心はできぬでござる。
残りはわずか5分でござる!


運  「それじゃ、ボチボチいきやすよ!」

渋滞を抜けたところで運チャンの目の色が変わったでござる!
さっきまでのヘラヘラした男とはまるで別人でござる!


そこからはもう、
何をどうしたのやら、
どこをどう走ったのやら、
まったく記憶に無いでござる。


気づけばタクシーは目的のお店の前、

ダッシュボードの時間はピッタリ19時を示していたのでござる。


運「ね、間に合ったでしょ?」

そう言って振り返った運転手のオニーチャンの顔はまた、
元のヘラヘラに戻っていたのでござる。

まったく末恐ろしい男でござる。

山口県のタクシーのレベルの高さに驚愕しつつ、
速やかにお会計を済ませてタクシーを下車すると、

店の前ではすでに仲間たちが全員そろって拙者を出迎えていてくれていたでござる。

少々バツが悪かったものの、
仲間たちに朝の件を丁重に詫びをいれて、いざ晩御飯の時間でござる!


拙者はもう腹ぺこでござるよ。


下関で晩御飯と言えば、
食べるのはもちろん、


イエス!
フグでござる!!!
{8889EE0C-73FE-40A0-B3F6-EC0121787D16:01}




というワケで、

ここで少しだけフグについてのお勉強タイムでござる。


ご存知、フグは我々日本人にとってたいへん馴染みの深い魚でござる。

一説には縄文時代の昔から食べられていたとも言われているでござるから驚きでござる。(ちゃんと化石も出土しているでござるよ!)

今でこそ高級魚と位置付けられているフグでござるが、地元の人たちには古くから結構メジャーな魚だったそうでござる。


そんなフグでござるが、
実は日本の食卓から忽然と姿を消した空白の300年があったことを皆はご存知であろうか??

そして、

そこにはある2人の歴史上の有名人が深~く関係しているのでござるよ。
{9553CFFA-5E39-4C45-8D4E-F4E428B80D89:01}



今を遡ること400年と少し。
「本能寺の変」から11年後の1592年のことでござる。

織田信長の亡き後、
空席となったトップの座にズドーンと滑り込んだのが
ご存知、太閤「豊臣秀吉」でござる。
{BCBB8819-DBFB-451C-841D-DFEDA2B21B3D:01}



この時の秀吉は天下をほぼその手中に収めてもうノリノリ状態。
もはや国内に敵はおらず調子に乗りまくった秀吉は、

「このまま朝鮮も手に入れるだぎゃあ!」

と全国から兵を集めて朝鮮征伐の準備を整え始めたのでござる。

俗にいう「朝鮮出兵」とか「文禄の役」とかいうやつでござるな。


朝鮮に向けて進軍するため全国から集められた兵たちは一旦下関に集結したのでござるが、
なぜか下関に来た兵士たちがバッタバッタと倒れては命を落とすという怪事件が頻発したのでござる。

よくよく調べてみると、
どうやら食事に出てきた魚が原因らしい…とのこと。


そうでござる…

その魚こそがフグなのでござる。


フグには「テトロドトキシン」という猛毒があり、
現在でも年間数十件のフグ中毒が発生し、うち数人が死亡しているほど扱いの難しい食材であるということは現代では常識でござる。

が、

もちろん全国諸所から集められた兵士たちがテトロドトキシンなんぞ知ってるハズもなく、
初めて見る異形の魚(フグ)を、
あろうことかまるまる内蔵ごと煮て
「美味いなぁ!美味いなぁ!」
と食べてしまったことにより沢山の被害者を出してしまったのでござる。


この惨状を知った秀吉はもうカンカン!

「ウッキー!今すぐフグを食べることを禁止するのだぎゃあ!!!」
{491D75EA-320C-4183-BF86-6ADB6F4D91AE:01}


となったワケで、
この秀吉の一言により、町の辻つじに「この魚食うべからず」と書かれた禁札が立てられ、

ここに「ふぐ中毒取締令」が敷かれたのでござる。

それからなんと300年もの間、
このフグ禁止令が続いていたというのだから驚きでござる。

ま、地元の民たちはコッソリと食べたりもしていたようでござるが、
表舞台からはその姿を消さざるを得なくなったワケでござる。

まさに「フグ不遇の時代」といったところでござるな。


しかし、
しかし、


そんな可哀想なフグも、
ある男によって今一度スポットライトを浴びることになるのでござるよ!!


時はズズイと流れ流れて西暦1894年、

長かった江戸時代も終わり、幕末、維新を経て日本が近代国家へと変貌を遂げた明治27年の事でござる。


時の内閣総理大臣(初代)である伊藤博文は、
{4065B862-B666-4859-953D-9A6C16D483BE:01}


日清戦争の講和条約締結の会談をするため下関のとある旅館を訪れていた。

これがいわゆる「下関条約」でござるな。

清の指導者、李鴻章と
日本の総理大臣、伊藤博文という二人の超VIPがお客様とあって、
旅館としてはピッチピチで活きの良い魚料理で最高のもてなしをしたいところ。

しかし

連日の嵐で海は大シケ、まともな漁もできず、活きのよい魚がぜんぜん用意できなかったのでござる。

このピンチに
旅館の女将は仕方なく

「こんな物しか用意できませんで…」
と恐る恐るフグ料理を提供したところ、

パクリと1口食べた伊藤博文が

「う、美味い!!」と大喜び。


伊藤「女将、これはなんという魚じゃ?」

女将「は、はい。実は…フグなのでございます。」

伊藤「なんと、フグとな!?ご、御禁制の魚でわないか!?」

女将「はい仰有る通りでございます。実はかくかくしかじか…こういう理由がございまして…。も、もちろん毒の処理はしっかりしてありますので安心してお食べください。」

伊藤「うーむ、なるほどのう。しかしこんなに美味い魚を御禁制のままにするのは忍びないのう。」

女将「はい、まことに。」

伊藤「うーむ…………、
ホントに毒の処理はしっかりと出来るのじゃな?」

女将「は、はい!それはもうしっかりと!この辺りの料理人ならば皆!」

伊藤「ふむぅ………。」

女将「………。」

伊藤「よし!!では山口と福岡に限ってフグの提供を解禁しよう!」

女将「ほ、ホントでございますか!?」

伊藤「女将よ、儂は内閣総理大臣ぞ?心配いたすな、これよりフグは解禁じゃ!さしずめここはフグ御公許第一号店といったところじゃな!」

女将「あ、ありがとうございます!!」

伊藤「わーはっはっは!しっかしフグは美味いのう!!わーはっはっは!」


と、そんなやりとりがあったとか無かったとか、
兎にも角にもこれでフグは晴れて300年の眠りから再び目覚める事になったでござる。

ややーっ、
めでたい話でござるなー。
我々が現在フグを食べられるのも、女将と伊藤博文さんのおかげなのでござる。


以上、
カンタンながら日本におけるフグの歴史をざっくりと紹介したワケでござるが、

如何せんもうお腹がペコペコでござる。

いざ下関のフグをたっぷりと堪能すると参るでござるよ!!


そして、
我ら一行が晩御飯に予約したお店こそ、
なんと
何を隠そう先ほどの話に出てきた女将の旅館、
フグ御公許第一号店!
下関、いや日本のフグ料理の総本山!!

「春帆楼 本店」その店でござる!!
{853FD33D-474B-4C07-9086-452F281C7EFB:01}



ふーふー!
イエイイエーイ!

いやー、
さすがに外観からしてお安くない感じでござる。
建物こそキレイに造り直されているでござるが、老舗の雰囲気がプンプンするでござるよ。
とてつもない重厚感でござる。

「やはりせっかくフグの本場に行くんだからイチバンのお店がいいよねー!」

などと安直な考えで予約したのでござるが、想像以上に敷居が高そうでござる。

果たして我々みたいな下郎が入ってもいいものでござろうか?

入り口のガラスに写りこんで見える我々の姿は、完全に場違いな薄汚れた格好の男8人衆でござる。


こんなことなら紋付きの1つでも着てくれば良かったでござったなぁ。

なーんてな事を考えながら恐る恐る建物の中に入ると、
一階はまるでホテルのロビーのような感じの落ち着いた大人の空間。
{76078531-45F9-444D-98EC-36D34B4A25A8:01}


受付のカウンターにはビシッとキメた服装の男が立っているでござる。


勇気を振り絞り、
おっかなびっくり受付の前まで行き予約してある旨を告げたところ、
カウンターの男はチラリとこちらを見るなりパンパン!と奥の方に向かって手を鳴らしたのでござる。

すると、
後ろの扉が開いて中から黒いスーツに身を包んだ屈強な男たちがゾロゾロと出てきたのでござる。!
7~8人はいたでござろうか、
アッという間に周りを取り囲まれた我々は為すすべもなくただ立ち尽くすだけ。

「お客様のお帰りだ。出口までご案内して差し上げろ。」

カウンターの男がそう言うと、黒スーツ達は我々の腕をガッと掴んでそのまま出口の方までズカズカと………



なーんて事はまったく無くって、


とっても丁寧な対応を
とってもステキな笑顔でしてくだすったでござる。

なんだか勝手にビクビクしてた拙者が馬鹿みたいでござるよ。
ドジっこ忍者でござる。
忍法エヘヘのへでござる。


エレベーターで上の階へ、
そこから長い廊下を案内人の後ろに着いて奥へ奥へと進むとついにはイチバン奥まで突き当たったでござる。

案内人がスッと左手をだして
「こちらでございます」
と指し示した方向には、
それはそれはもう立派なお座敷が用意されてあったござる。
{8F7040C9-6408-4EC0-828D-E954933ADB81:01}


しかも大きな窓からは瀬戸内海が一望できるのござるよ!!

ものすごく良い部屋でござる。


なんでも、
この部屋では以前に天皇陛下もお食事された事があるらしく、
その名も「帝の間」というのだそうでござるよ。

奥にサラッと掛かってる掛け軸や書なども、あんな人やこんな人が書いたという由緒正しき大変価値のある物なのだそうでござる。

やややっ、
とんでもない部屋に通されたもんでござるなー!

酔っ払って粗相なんて間違ってもゼッタイにできないでござる。
さすがの老舗パワー全開でござるよ!


キンチョーでからっからに渇いた喉をまずはビールでキュッと潤していたら、

さぁさぁさぁさぁ、

きたでござる、
きたでござるよ!
{E3FF2F49-F70D-45AC-86C9-2353882D1612:01}



てっちり、てっさを始め、焼いたり蒸したり煮てみたり、
次から次へとフグ料理が運ばれてきて
気付けばテーブルの上はフグ料理のフルコースでござる!
{697C56BD-5F0F-438B-92B3-D00926AE3307:01}


1万円くらいの比較的お手頃なコースを予約したにもかかわらず
満足感ハンパなしでござる。

こうなると
自然とビールグラスをグイ呑みに持ち替えて
山口の銘酒「獺祭」をいただく事になるでござるよ。

カーッ!!

さすがは天下に名の知れた銘酒。
スイスイと喉を通り過ぎてゆくでござる。

ついつい飲みすぎてしまいそうになるでござるが、
調子に乗るとアッという間に予算をオーバーしてしまうので、
ほどほどに切り上げて続きはホテルにて飲み直しでござる。

いやぁ、
山口が誇るフグ料理の最高峰、
「春帆楼」
噂に違わぬ味と品格、
タップリと堪能させていただいたでござる。

こうして
宴もたけなわプリンスホテルとばかりに、
宿に戻った拙者ら一行は、
夜が更けるまでどころか
東の空がうっすらと白んでくるまで部屋で飲み明かしたワケでござる。

男8人、月明かりを肴に酒を酌み交わせば面白きことはゴマンとあるのでござるが、
それはまた別の機会にでも話すとするでござるよ。

ともあれ、
山口旅行、激動の一日目はこうして幕を閉じたのでござる。

朝からドタバタ続きでヘトヘトの一日でござるよ。

次回「おしのび山口 その⑥」は
いよいよ完結編。

ドバーッと2日目をさらって
とっとと終わらせたいのがみえみえ中尾ミエの術でござる!


それでわ、
今日はこの辺でドロンさせていただくでござるよ、

ニンニン!!


どーも、KTA(ムケちゃん)です。

いよいよ山口旅行記も第4弾だっていうのに、まだまだ初日の昼下がり。
いったいこのシリーズいつまで続くやら?
とにかく、
「おしのび山口~その④~下関奮闘編」をどうぞ!
photo:01



長府の街で道に迷っていると、
すぐ近くに犬の散歩をしている地元のご婦人がいたでござる。

ちょうどよいので「長府毛利邸」までの道順を訊ねてみたら、
こちらのご婦人、
ご近所に住んでいるというのに道はサッパリわからないとの事。

「たぶん…、あっちの方じゃないかしらー?」

なんてテキトーな事を言いながらケラケラと笑うばかりでござる。

むぅ…、ちと人選をミスったでござる。


さらには、ご婦人
拙者の地図を取り上げ、あーでもないこーでもないと思案しながらも、

「うふふ、やっぱりわからないわー」

とまた笑うだけ。

いやはや、

まったく、女というものは無駄によく笑う生き物でござる。
明るい性格なのは良いのでござるが、これでは一向に埒があかないでござる。
さすがに温厚な拙者もシビレを切らして早々にその場を立ち去ろうとしたところ、

「お役にたてなくてゴメンなさいね、これ食べて。」

と婦人がお菓子をくれたでござる。


なんとまぁ、


めっちゃイイ人でござるでわないか。


こんなに親切にしていただいたのに、
一瞬とはいえイラッとしてしまった自分を強く恥じるでござる。


しかも、
あろうことか
拙者はお菓子を受け取っておいてロクなお礼もせずに
恥ずかしまぎれにその場をそそくさと去ってしまったのでござる。

なんたる失態!
なんたる不覚!

忍として、
いや、人として恥ずべき行為でござる。


赤い頭巾のその下で、
拙者の顔が頭巾以上に真っ赤っかになっていた事は言うまでもないでござる。


ご婦人、
この場を借りて御礼申し上げるでござる。

あのお菓子、とっても美味しかったでござるよ。
ご馳走さまでござる。


というワケで、
「長府毛利邸」を自力で探さなくてはいけなくなったワケでござるが、ものの数分でアッサリと見つけることができたので、
サクサクッと見学したござる。
photo:02



しかしまぁ、見学したものの、
これといった印象も無く、
ごくごく平凡な武家屋敷という感じでござる。
立派な建物ではあるにはあるでござるが
なんか物足りないでござる。

これなら他の場所を見学した方が良かったかもしれないでござったなー。

なーんて辛口コメントがたまに飛び出しちゃうのも、
忍者のご愛嬌でござる。


長府観光の締め括りとしては若干の消化不良が残るでござるが致し方なし。

残念!

これ以上ここに留まることは出来ぬでござる。

長府の街、
歴史も風情もあって、
落ち着いた良いところでござる。
時間がある時にまたユックリと来てみたいものでござるな。


さて、
気持ちを切り替えてトットと移動するでござるよ!!
長府の街を離れて次に向かう目的地は
いよいよ「下関」でござる!


本州最西端の街「下関」でござる。
県イチバンの大都市「下関」でござる。
歴史も豊富な街「下関」でござる。
食べ物も美味しい「下関」でござる。

なんといっても山口と言えば「下関」なのでござる!!


下関には今晩の宿を抑えてあるし、
晩御飯の店もすでに下関に手配済みでござる。


長府から下関まではたいした距離ではないのでござるよ。
電車でもタクシーでもすぐ行ける近さでござるが、
拙者はあえてのバスを選択したでござる。

旅先ではその土地の生活に根付いたものを使うのがポリシーでござる。

サンデン交通バスに乗り込み、
海沿いの道を25分も走ればすぐに下関駅前に到着でござる。

photo:03


いやー、めっちゃテンション上がるでござる!
さすがに今までの街とは人の数がケタ違いでござる。
しかし案外、駅は小ぢんまりとしているのでござるなぁ。
有名な街だからもっとビッグシティを想像していたのでござるが、
いやはや、意外でござるよ!

やはり
来て見てみなければわからない事って沢山あるでござる。


おっと、
あまりユックリもしていられないでござる!

下関には見るべき場所がギッシリでござるから、これまで以上にテキパキとした行動が求められるでござる。

もう、長府でのような失敗を繰り返すワケにはいかないのでござるよ。


とにもかくにも、
下関を散策でござる。

さっきも言ったでござるが、
下関はもう見所がありすぎて、いちいちピックアップなんかしてられない状態でござる。

現在の時間は17時ジャスト。
晩御飯にと用意した店の予約時間は19時。
そこで先発したメンバー皆と落ち合う手筈でござるから、
拙者に残された猶予は2時間ぽっちしかないでござる。

時間と体力が許す限り、
「下関」の街を回れるだけ回ってみる作戦なのでござるが…
ま、やるだけやってみるでござる。

見どころ沢山の下関でござるが、
今回はあくまでも幕末の史跡をメインに絞って回って行く算段でござるよ。

まずは駅前から北に向かってトボトボ歩いてみるでござる。

さすがにご近所だけあって商店街はさながらリトル・コリアといった風情で、
韓国風の食材やら焼肉店のハングル表記の看板が立ち並んでいるでござる。

商店街を抜けくねくねと歩きながらも、
途中で
「厳島神社」や
「白石正一郎邸跡」
「萩藩新地会所址」

などに立ち寄るのを怠ってはいけないでござる。
photo:11



寄り道しながら30分、
人の気配もすっかり消えて閑静な場所に差し掛かった頃に、
ひっそりとあるのが
「桜山神社」でござる。

わかりづらい場所でござる。
丘の上にあるため、この長い階段を登って行かなければならぬのでござるな。
photo:07


何段あるのか数えてみたでござるが、50段くらい登ったところで面倒臭くてやめたでござる。
たぶん全部で70~80段くらいのもんでござる。

なあに、
忍の健脚をもってすればこんなもの、
昨日の晩メシ前でござる。

階段を登りきると、
ほほう、なかなかどうして、
静かながらも凛とした佇まいがどこか厳かな雰囲気を漂わせている立派な神社でござる。


それもそのはず、
ここ「桜山神社」は、
高杉晋作の発議によって創建された日本初の招魂場でござる。

もとは奇兵隊の調練場であったところに、下関攘夷戦、四境戦争、戊辰の役などで戦死した者や、
吉田松陰、久坂玄瑞、山縣有朋など尊皇倒幕功労者たちの霊も合わせて祀ってあり、
偉大な指導者から平民まで分け隔て無く、
実に396人もの長州の志士たちの魂が眠っているのでござる。
photo:08



ま、平たく言えば、
靖国神社などのはしりみたいな物でござるかな。


整然と立ち並ぶ396柱の霊標の姿を目の当たりにすると、
なんだか、

こう…、

胸の奥からググッと込み上げてくるアツい物を感じるでござる。
photo:09



いやぁ、
来てよかったでござる。


その名の示すとおり、
春にはきっと素敵な桜を見ることができるのでござろうなぁ。

いつかまたきっと訪れたいと思える、
そんな大事な場所になったでござる。


いやはや、
すっかり「桜山神社」を堪能してしまったござる。


さて、
ここからまた下関駅の方面に向かって歩くでござる。

駅へと向かう道の途中にどうしても見ておきたい場所があるのでござるよ。

それが
「高杉晋作終焉の地」

この場所で高杉は27年の激動の生涯の幕を閉じたのでござる。

そのネームバリューからすると、
なんとも小ぢんまりとした淋しいところでござる。
photo:10



ものの本で読んだりして必要以上に想像を膨らませ過ぎた拙者からすると、
すこし切ない気持ちになるような場所でござるよ。

しかし、
こういった場所が今も残っていることが大事なのでござる。
やはり、高杉晋作は現在でも山口県民に愛されるヒーローなのでござるな。
合掌!!


さてさて、

ぷらりと一回りして下関駅まで戻ってくると、
時刻は18時ちょっと前。


晩御飯までの残り時間は早くも1時間チョイと相なってしまったワケでござる。

もちろん、
まだまだ下関には「赤間神宮」やら「壇ノ浦古戦場」やら「亀山八幡宮」やら「唐戸市場」やら「みもすそ川公園」やら「火の山ロープウェイからの展望台」などなど、
それはそれは魅力的な場所が満載でござるから、
その辺を2・3コも回っているうちにすぐに時間もつぶれて約束の時間となってしまうのでござろうなー。

なーんて事を考えていた拙者でござるが…
ところがギッチョン、


そうそうカンタンに事が運ばないのが旅というものでござる。


ここにきて、
拙者にとてつもない問題が襲いかかってきたのでござる!


その問題とは何か?



ズバリ!

"空腹" でござる。



何を隠そう、
拙者は朝の新幹線で慌ててパクついた弁当を最後に、
今の今まで約9時間半、何も口にしていなかったのでござる。


つまり、

むちゃくちゃ腹ペコなのでござるよ!!


この食いしん坊の拙者が9時間半もの長時間メシ抜きだなんて、
ありえない話でござる!
大・大・大問題なのでござるよ!!


やややっ!!


わかってるでござる、
わかってるでござるよー。

あと1時間もすれば晩御飯なのだから我慢しろと、
そう言いたいのでござろう??


しかし、
現実問題、こうも腹ペコではかなわんのでござる!
いくら忍といえどもガマンの限界というものがあるのでござるよー。


なにか軽く買い食いでもするでござるかなー?


本当は寝坊さえしてなければ
ランチに立ち寄ろうとあらかじめ目を付けておいたお店があったのでござるよ。


そこはカレー屋さんなのでござるがな、

カレー屋といってもただのカレーじゃないのでござるよ!
なんと「焼きカレー」なのでござるよー!

しかも、な・な・なんと、
あの日本を代表する有名な女優であるU戸彩さんが
「人生最期の日に食べたい1食」
と評するほどのカレーを出す店と言うウワサを聞いてしまってな、


そこはまぁカレー大好き&U戸彩大好きな拙者からしたら、
やっぱり外せないと言うか??
気になると言うか?


ま、時間に余裕の無くなった今となってはもう叶わぬ夢となったでござるが、
わざわざ足を運んででも食べてみたいなーと思っていたのでござるよ。



あ、そうそう

そのお店は下関じゃなくて「門司」という所にあるのでござるよ。

バナナの叩き売りと焼きカレーが名物の、福岡県北九州市の港町「門司」でござる。
ちなみに[もじ]と読むでござるよ。




え?


あ、いやいやいや、


福岡県といっても山口県のすぐとなりでござるし、
北九州市は関門海峡をはさんで目と鼻の先、
パッと行けちゃう距離なのでござるよー。

ほんと、ほんと、
関門トンネルを使えばアっという間でござるよ!
15分くらいですぐに行けちゃうくらいメッチャ近くっ…



ん?



めっちゃ近く…
15分くらいですぐに…



めっちゃ近…




すぐに行けちゃ………う?





- !!! -



その時、
拙者の中でなにかが音をたてて弾けたのでござる。
不思議なことに、そこから数分間の記憶がまったく無いのでござる。

いま思えば、
その時の拙者は空腹でどうかしていたのかもしれないでござる。


気付けば拙者は関門トンネルの入り口の前に立っていたのでござる。



ここで今一度、
いくつかポイントを整理をしてみたいと思うのでござるが、少しお付き合い頂こうか。


・拙者は腹ペコでござる。
・拙者はお昼に食べそこねたカレーが気になっているでござる。
・ここからカレー屋さんまではおよそ20分、往復で40分でござる。
・晩御飯までは残り1時間でござる。
・仲間たちが待っているので今度こそ時間厳守でござる。
・くどいようだが、拙者は腹ペコでござる。
・くどいようだが、晩御飯まであと1時間しかないでござる。
・くどいようだが、拙者はカレーが気になって気になって仕方がないでござる。



もう、何も言わずとも

答えは自ずと出たようでござるな。


そうでござる。


拙者の出した答えはGO!
一択でござる。


ややや!

みなまで言うな!
無論、ムリは承知の助でござる。


しかし、
男には馬鹿だ無謀だと謗られながらもやらねばならぬ時というのがあるのでござる。

そして、今がその時なのでござるよ。


男とはそうゆう面倒臭い生き物なのでござる。
別にわかってくれとは言わぬでござるがな。


さあ、
そうと決まればグズグズできぬでござるよ!
高杉晋作よろしく"動けば雷電の如く"といった感じでいかなければならぬでござる。

とにかく、
下関から門司に行くためには瀬戸内海を渡って福岡県に入らなければならぬでござる。


関門海峡を渡る手段は

1、船で海を渡る
2、車で橋かトンネルを渡る
3、鉄道でトンネルを渡る
4、歩いて地下トンネルを渡る

の4つしかないでござる。


拙者は4の関門人道トンネルを徒歩で渡ることにしたでござる。

実はこのトンネル、
すごく気になっていたのでござる。
だって海の下を歩くのでござるよ!
想像しただけでワクワクするでござる。

さあさあ、
これがトンネルの入り口でござるよ。
photo:12



徒歩なら無料、
自転車や原付バイクは20円で渡ることができるのでござる。
お金はこの箱に入れるのでござるよ!
photo:13



エレベーターで地下に降りれば
ほれ、この通り!

photo:14



瀬戸内海の真下を
北九州の門司まで約800メートルのトンネルが真っ直ぐと続いているのでござる。


うわー、
すごいでござるなぁー!
映画「チルソクの夏」で観た景色そのものでござる。
テンション上がるでござるよ!


トンネルの真ん中まで来ると、
山口県と福岡県の境界線がマークされてあるでござる。
photo:15



なるほどなるほどー、
観光客たちは皆ここで記念撮影をするという、お決まりのスポットでござるな。


よっしゃ、
興が乗ったので拙者も一枚パチリでござる。
photo:17



むむむ!?
周りの観光客たちが、
不思議そうに拙者を見てくるでござるなぁ。
そんなに記念撮影をしている忍者が珍しいのでござろうか?


とりわけ、
興味深く拙者を見てくる観光ギャルの一行がいたので、

「拙者は日本中を旅しているただの忍の者でござる。拙者の旅のもようは『ムケログ』で検索すれば誰でもカンタンに見る事が可能でござる。今日のことも必ず書くからチェックするでござるよ。拙者は先を急ぐのでこれにて御免。」

とだけ言い残し、
その場を立ち去ったでござる。


おい!観光ギャル!
見てるでござるか!
あれから1年経ったけどちゃんと書いたでござるよ!!
武士に二言はないのでござるよ。


ま、拙者は武士ではなく忍者でござるけどな(笑)


さてさて、
お馴染みのニンジャ・ジョークも炸裂したところで、
ちょうどトンネルも渡りきり、
エレベーターで地上に出れば、
いよいよ山口県を飛び出してそこはもう福岡県でござる。


さあ、どうでござるか!
これが福岡県側から見た下関の黄昏でござる。
photo:16



よい眺めでござるなー。


いかんいかん!
時間が迫っているでござる。
先を急ぐでござるよ!


どれどれ、
ここから目的のお店に行く道は……と、




ゲゲゲッ!!!




だいぶ離れているでござるなぁ。

トンネルを抜けたらすぐに門司港があるものだと思っていたのでござるが、見渡す限り辺り一面なーんもないでござる。

ちと想定外でござる。
完ぺきに予習不足でござったなぁ…。

果たして時間内に辿り着けるであろうか?



むむむむむ……




ええぇーい、ままよ!!

とにかく行けるとこまで行ってみるでござる!
ここまで来たらもう後には退けぬでござる。
毒を喰らわば皿ならぬ、
カレーを喰らわば前進!!でござる。


腹を決めた拙者は
とにかく港の方面に向かって走り出したでござる!
そりゃもうとにかく猛ダッシュでござるよ!

しかし、

行けども行けども港は見えてこず、
やはり忍の健脚をもってしてもちと無理があったようでござる。

残り時間は20分ちょっと、


もうダメでござる。
戻る時間を考えると、ここらが潮時でござる。

むちゃくちゃ口惜しいがここで苦渋の決断をせねばならぬでござる。


拙者は懐からおもむろにケータイ電話を取り出し
タクシー会社に電話をかけたでござる。


タク「はい、○×タクシーです。」

拙者「すまんが至急タクシーを1台回してほしいのでござるが。」

タク「はい、どちらまで?」

拙者「和布刈神社まで大至急でござる。19時までに下関に帰りたいのでござる!」

タク「19時って…お客さん、そりゃムチャですよ。」

拙者「ムチャでも何でもやるでござる!!いいでござるな!?神社で待っているでござる。」

タク「……わかりました、ワケアリなんですね?」

拙者「ま、そうゆう事でござる。よろしく頼むでござる。」



そんなやりとりをして、
拙者は電話を切った後とって返すように来た道を神社まで猛ダッシュしたでござる。

もう足がパンパンでござる。

拙者が神社に辿り着いて数分後、
一台のタクシーがこれまた猛スピードでやって来たでござる。

運転席のウィンドウが開いて、
中から落語家の立川こしら似の茶髪のオニーチャンが顔を出したでござる。
photo:18



運「お待たせしました、ワケアリの忍者様ですね?」

そう言うと、
運転手のニーちゃんはニヤリと笑ったでござる。


拙「話はあとでござる。とりあえず下関まで急いでほしいでござる。約束の時間まであと15分も無いのでござる!」

運「なるほど、わかりました。」

拙「ま、間に合うのでござるか?」

運「お客さん、なぜ僕がここに寄越されたと思います??さ、とにかく後ろに乗ってちゃんとシートベルトしてくださいよ?」

拙「お、おおう。場所はここでござる。えっと…住所は下関市阿弥陀寺町…」

運「おっと!喋ってると舌咬みやすぜ!そこなら大丈夫。わかりやすから。なぁに、僕に任せてくださいや。」


運転手のニーちゃんはそう言うや否や、
アクセル全開でタクシーを発車させたでござる!

カラダ全体がシート後方に持ってかれるほど、
すさまじい加速でござる。

これならちょっと期待できそうでござる。


タクシーは門司の街をススイと抜け、
関門トンネル入り口へ。
しかし、
ここがまた軽く渋滞してるのでござる!!


あぁぁぁ!!


果たして拙者は約束の刻限に間に合うのか!?
はたまた再度、同じ失敗を繰り返すのか!?



ドキドキの結末は次回、

「おしのび山口~その⑤~フグ・フグ・フグ!編」
までしばし待つでござるよ?


それでは、ニンニン。



iPhoneからの投稿




どーも、KTA(ムケちゃん)です。

いよいよ山口旅行記も第3話。
いっこうに進まない珍道中は果たして第何話まで続くのか僕にも全然わかんないけど、最後まで気長にお付き合いよろしくね。

途中から読み始めてちんぷんかんぷんな人は、是非とも「その①」から読んでみてね。

ってなワケで、
今日は「おしのび山口~その③~」の話。
photo:01  





「旦那!旦那!その③が始まりやしたよ!」

拙者「遅い!遅すぎるでござる!!」

「なんせ前回その②から2ヶ月も空きやしたからねぇ。」

拙者
「まったく、間隔が空きすぎでござる。筆者にはシリーズ物を書いている自覚というものが足りぬでござるよ。」

「前回は、たしか文字数制限で泣く泣く終わったんでやんしたね」

拙者
「だいたいそれもおかしな話でござるよ。あの程度の文字数で限界なんてアメブロさんにはありえぬ話でござろう。」

「筆者のヤロウ、携帯電話のメール機能を使って書いてるみたいでやんすから。そっちの文字数がいっぱいだったんでやんしょうね。」

拙者「話の脱線やムダな改行が多いからこんな事になるのでござる。」

「まぁ、筆者としては少しでも読みやすく、面白おかしくしてるつもりなんでやんしょう。」

拙者
「それで2ヵ月も書けないなんて本末転倒もいいとこでござる。まったく、どこまでも使えん男でござるよ。」

「でやんすね。」



とまぁ、
そんな会話を車中でしていたかどうかは覚えてはござらぬが、

タクシーは東行庵を出発し、一路「長府」という街を目指すことになったでござる。


当初の予定では一旦「小月駅」に戻り電車で長府に向かおうと思っていたでござるが、
運転手のおっちゃん曰わく、
長府なら大した距離もなく、電車よりも圧倒的に早いとのこと。

拙者もなにより時間が惜しいところでござるから、この提案に乗っかってみることにしたのでござる。

つまり時間を金で買ったワケでござるな。

これぞ36の秘技のひとつ、
「忍法 金!」でござる。

これは大人だけに許される危険な技でござるから、よい子のみんなはちゃんと電車を使うでごさるよ!
乱発するとアッと言う間にオケラでござるよー。


長府までの道すがら、おっちゃんは
山口の交通事情やら気候風土、名物料理、
地元の有力企業やら山口出身の著名人のことなど、
ユーモアを交えた軽妙なトークを披露してくれたでござる。

かと思えば急に、

「旦那は学生さんですかい??」

などと、齢32の拙者をつかまえて素っ頓狂な質問をしてきたりするもんだから、
道中は退屈しらずでござる。


この男、生来の話し好きなのでござろう。

もちろん、
拙者も忍のはしくれ、おいそれと素性を明かせぬから、

「ま、そのようなもんでござる。」

と、にべもなく答えるに留めたでござるが、
ちくりと心が痛んだところをみると、
拙者も少しはこの男に心を許していたという事でござろうか。

拙者もまだまだ修行が足りぬでござる。



山間の街から海沿いの道に抜けると
にわかに沿道も活気づいてきたでござる。
長府の街でござる。

いよいよこの奇妙な二人旅にも終わりが近づいてきたようでござるよ。


街道を右に折れ、長府の街並みに入り、
幅の狭い道を観光客の間を縫うように走り抜けると、
目的の地「功山寺」が右手に見えてきたでござる。

寺の前で降ろしてもらうよう運転手に告げれば、
それがお別れの合図でござる。


「そこらで結構。」

拙者は気持ちを悟られぬよう、なるべく抑揚をおさえた低い声で言ったつもりでござったが、思った以上に声はうわずっていたようでござる。

先程まで饒舌だった運転手も、

「承知。」

と、言葉少なにすぅっと道脇にタクシーを停め、必要以上に業務的に会計作業を済ませようとしているようでござる。


いつだって男と男の別れはこんなものでござる。
ムダな言葉など不要なのでござる。


少し多目の金を運転手にくれてやり、静かに下車すると

タクシーは初めて会った時と同じように
その場で激しく後輪をホイルスピンさせ、轟音とともに白煙の彼方に消えていったでござる。

まったく、最後まで風のような男でござる。

拙者の瞳にうっすらと光るものが滲んで見えたのならば、
それはきっと土埃が目に入っただけでござるよ。


さてさて、

「功山寺」の前にひとり取り残された拙者でござるが、
もともと右へ左の風来坊、
1人には慣れっこでござるから
ちっとも寂しくなんかないでござる。

また元の1人旅に戻っただけ、
へいちゃらでござる。


腕時計に目をやると
14時30分
ほぼ計画通りでござる。

予め建てていたプランがこうもぴったりハマるとは、

やはりできる忍者は違うでござるなぁ。

と、ひとり悦に入ってた拙者でござるが、
「功山寺」の立派な総門を意気揚々とくぐってみてビックリ!!

そこにはプランにはない予想外の光景があったでござる!!



な、な、なんと、
2時間前に先発していたメンバーのうち、
まなぶん・ニム・ダイマシの3人が

門の向こうから歩いてやって来るのでござる!!


いやはや、
これには感動でござるよ。

東京から遥か遠く、900㎞も離れた地で
仲間と再会できた喜びというものは筆舌に尽くし難いでござる。

「やあやあ!貴殿等もここに来てたでござるかー!」

拙者は3人のもとに駆け寄り、
無事の再会を祝して力強く抱擁を交わしたでござる。

「ここからは4人旅でござるなぁ。」

胸の奥からジワジワとこみ上げてくる喜びが、口をついて出るでござる。


拙者はもう嬉しくって嬉しくって、
トントトン!と足取りも軽やかに山門へと続く階段を2・3段駆け登り、
「さあ、拙者に続け!」とばかりに3人の方を振り返ったのでござる。
photo:02  




しかし、

不思議と3人はその場をピクリとも動かず、冴えない顔を浮かべてこちらを見ているだけ。


「んもう、何をグズグズしているでござるか。早く功山寺見学と参るでござるよ!」

拙者がハッパをかけると、
ダイマシがなにやらゴニョゴニョとわけわからぬ事を言っているのでござる。

ダイマシという男は
心根の優しいナイスガイなのでござるが、
その優しさ故か、声が小さいのがたまにキズでござる。

拙者「んもぅ、声が小さいでござるよ。なんでござるか?」


ダ「ゴメン、俺達はおまえと行けない。」


拙者「ん?なんでござるか?」


ダ「もう…見てきたんだ。」


拙者「ん?すまぬが、よく聞き取れなかったでござる。いま一度、何て言ったでござるか??」


ダ「だから、俺達いま功山寺みてきたし、長府観光も一通り済ませたから、もう移動するんだよ。」



拙者「……へ??」



なんと、
彼らはもう長府観光を済ませて次の場所に移動しようとしていたのでござる。


ダイ「じゃ、もう行くよ。」
ニム「また夕飯の時に」
まな「下関で!」


3人「バイバーイ!!!」


そう言い捨てると
3人はテクテクと門の外へと消えていったのでござる。
それはそれは、あっさりしたもんでござる。
特にダイマシなんかは先頭きって去っていったでござるよ!

あの男のどこが優しいのか、
今となってはもうわからなくなったでござる。


やれやれ、
これからやっと4人旅が始まるかと思いきや、
あっという間にまた1人に逆戻りでござる。




べ、別に寂しくなんかないでござるよ!


さっきも言った通り
1人には慣れっこでござるから、
なんのこれしき、オギノ式でござる。

むしろ身軽になってせいせいするでござるよ!!
あんな薄情な奴ら、
こっちから願い下げの術でござる。

「忍法 ファッ○ユー!」でござる。


さてさて、
そうと決まれば長府観光を思いっきり満喫してやるの術でござる。

切り替えの早さも忍の大切な要素でござるから、
まずは
長府観光の一発目にして最大の山場。
「功山寺」
を見て回ることにするでござる。


ここは本当にスゴい所でござるよ!

なにがスゴいって、
なんかもう、
とにかくいろいろスゴいから各々勝手に調べてほしいところではでござる(笑)

しかし、それではあんまりでござるから、
幕末に限って申せば、


文久3年の政変によって京を追われ長州に落ちのびた尊攘派の公家(七卿落ち)のうち五卿が潜居していた場所であったり、

維新の扉を拓いた「高杉晋作の挙兵」の場だったり、
photo:03  



坂本龍馬の命の恩人、三吉慎蔵のお墓があったりと、
photo:04  



とにかく幕末マニア心をくすぐるスポットなのでござるよ!


「幕末なんて、なんのこっちゃ全然わかんないよー!」
ってな人も、ご心配めさるな!


幕末に限らず、
ここは古来より永きに渡り日本の歴史と寄り添ってきた由緒正しきお寺でござる。
長州毛利家の菩提寺でもあるから、その格は折り紙付きでござる。
photo:05  


その風格を味わうだけでいいのでござるよ。

貴重な資料も山盛りでござるし、
緑も多くてホント気持ちいい所なのでござるよ。


おっと、
建造物としての価値も一級品でござるよ!

拙者が訪れた時は
法堂・書院堂の他に、
普段は立ち入れない「国宝 仏殿」も期間限定で開扉していたでござる。
photo:06  



もちろん、
いい機会なので拙者も700円払って見学したでござるよ!


見学に際しては、
地域ボランティアの方なのか、
1人の老紳士がガイド役として付いてくれるシステムなのでござるが、
タイミングの妙で、なぜか拙者は老紳士とのマンツーマンでの見学となったでござる。

とても有り難いことに、
老紳士は建築様式や歴史について詳しく説明をしてくれるでござるから、
拙者も興味深く話を聞かせていただき、
とても勉強になったでござる。


老紳士は丁寧すぎるほど丁寧に、
それはそれはわかりやすく話を聞かせてくれるので、
拙者の方も負けじと、
時折質問を投げかけてみたり、自分なりの見解を述べてみたり、
見学者としては実に模範的な優等生ぶりを発揮したでござる。


それに気を良くした老紳士は、
ことさら丁寧に説明をしてくれるのでござるが、
心なしか同じ内容の話を何度も何度も繰り返しているように思えるのは、
ま、きっと老人特有のご愛嬌でござろうな。

忍の世界も年功序列。
拙者はご老人には寛容でござる。


しかし、
拙者も時間に追われる身、

そうそう長居もできかねるので、
頃合いを見計らってお暇せねばならぬ。


しかし、しかし、
さらに熱の入った老紳士の講釈は、のべつまくなし立て板に水の如し。
もうノリノリでござる。


かれこれ30分近く同じ話をループして聞いたでござろうか。

このままでは他の場所を見て回る時間がなくなってしまうので、

拙者は心を鬼にして

36の秘技から
「忍法 生返事」と
「必殺 腕時計チラ見」の
ダブル複合技で必死に応戦、

優等生から一転、問題児に成り下がったでござる。


さりとて、そこは年の功。
老獪なテクニックでのらりくらりとかわされ、
熟練の技の前に為すすべも無し、
老紳士の勢いは止まる事を知らぬでござる。

「もうダメでござるか…」


拙者が諦めて
これからの予定を大幅に組み直そうかと考え始めた
その刹那、


7~8人の観光客グループがぞろぞろと入り口にやってきたでござる。


しめたっ!!

ガイドの老紳士が対応に追われ、まごまごとしている隙を拙者は見逃さなかったでござる。


「では、拙者はこの辺で。御免!」

機を見るに敏、渡りに船とばかりに
拙者は一世一代のドロンをかましてやったでござる。

これぞ忍の本領発揮でござる。


思わぬカタチで時間をくってしまい、
急ぎ足で「功山寺」の残りを見て回るハメになったでござるが、
ここは他にも「長府博物館」などが隣接し、見所が豊富で本当に良い所でござった。
photo:07  



歴史に興味がある方はもちろんのこと、
興味のない方にもオススメのスポットでござるよ。

山口にお越しの際は、
ぜひ立ち寄ってほしい場所でござる。



さてさて、
「功山寺」を堪能したあとは、
いよいよ長府を散策するでござる!


長府の街は
毛利の殿様のお膝元。
古くから長府毛利藩5万石の城下町でござる。

街中をちょいと歩けば
石畳と土塀の小路が縦横に通り
当時の風情が今なお色濃く残るノスタルジックな街並みでござる。
photo:08  


photo:09  



さすがに城下町だけあって、
そこかしこに神社仏閣や歴史的建造物が点在しているでござる。

懐から取り出した地図とにらめっこすると、

「乃木神社」・「長府毛利邸」・「覚苑寺」・「忌宮神社」・「長府庭園」
などなど、
事前にピックアップした所だけでも5~6箇所は行きたい場所があるでござる。


むぅ、
どれもこれも気になる場所でござるが、
やはり忍の健脚をもってしても、さすがに全部は回りきれないでござる。
あまりにも時間が無さ過ぎるのでござる。

はてはて、困ったものよ。


拙者が難しい顔をして歩いていると、

ふと、
小路に沿って脇を流れるせせらぎに、
数羽の鳥が羽を休めて佇んでいるのが目に留まったでござる。
photo:10  



マガモでござろうか?
アオクビアヒルでござろうか?
とにかく黄色い嘴の特徴的な鳥でござる。

それがまぁ、
なんとも言えぬのどかな光景でござってなぁ、
まるでそこだけ時間がゆっくりと流れているようなのでござる。

「あぁ、なんかいい感じでござるなぁ。」

どれどれ、拙者も一休み!
とばかりに、小川のほとりに腰を下ろしてボーっとしてみると、
なんだか急に
あくせくと時間に追われていた自分が馬鹿らしくなってきたでござる。


ちょっと予定を詰め込みすぎたかもしれないでござるなぁ。


深く反省した拙者は、
ここから一番近くにある「長府毛利邸」にだけ立ち寄って、
長府の観光はそれでもうお終いにしようと決めたでござる。

たしかに他の場所も気になるでござるが致し方ないでござる。


つらい決断でござった。
苦渋の選択でござった。

しかし過ぎた時間はもう戻らぬものでござる。

トラブルは旅の友、
それにとらわれすぎてこの後の予定に支障をきたすようでは忍者失格でござる。

さあさあ!
そうと決まれば「長府毛利邸」に急いで向かうござる!

地図によればここからさほど遠くないはずでござる。
忍の足にかかればチョチョイのぽんでござる。


えっと、
どっちの方向でござるかな??



やや!

ちょうどいいところに犬の散歩をしているご婦人がいるでござる。
ちょっと聞いてみるでござるよ!


拙「もし、そこのご婦人。」


婦「はい?」


拙「ちと道を訊ねたいのだが、よろしいか?」


婦「あらあら旅の忍者さん、残念だったわね。」


拙「な、なんででござるか?」


婦「うふふ。」


拙「も、もしかして…」


婦「ええ、今日はもう文字数がいっぱいよ。」


拙「ま、またでござるかぁー?!」


婦「道は次回教えてさしあげるわ。」


拙「きゃーん!」








ってなワケで、
前回に引き続き、ここでまたまた文字数の限界でござる。

つづきは次回「おしのび山口 その④~夜の下関奮闘編~」にて。
今度はなるべく早く仕上げるように努力するでござるよー!

いや、ホントでござるよ!

それでは、御免。
ニンニン!

iPhoneからの投稿