母の居宅介護はこうして終わりを告げました。
はじめにも書きましたが、4ヶ月あまりの時間が長かったような、短かったような
過ぎてしまえば、あっという間の出来事だったような気もします。
2022年7月29日~8月11日までのことを記録したノートをブログ作成にあたり、再度読み返しました。
当時の出来事、母とのやりとり、母が衰弱していく姿が昨日のことのように思い出され、悲しさや辛さも沸々と湧き上がってきました。
でも、最後は、やり切ったという達成感にたどり着くのは当時と同じです。
父の最期は病院でした。
危ないと連絡を受けて到着したときには
心電計が一直線、
ぴーーという音が病室に鳴り響いていました。母の時のように濃密な時間を過ごしたことはありません。
母は100歳まで生きると言っていたので、その目標が達成できず、さぞ無念だったと思います。でも、96歳はかなり長寿です。
訪問診療のドクターがはじめに訪問した時、最初の言葉が
「ご長寿でしたね。」
だって。
まだ存命なのに、失礼なやつだ、と思ったのを覚えています。
母は、この4ヶ月あまり、食べたいものを食べ、飲みたいものは飲みという生活でした。
おそらく、スーパーの惣菜類はすべて食べ尽くしたと言っても過言ではないと思います。
しかし、一番びっくりだったのは、ビールをリクエストしたことでしょう。
これまで一度も口にしたことがなかったのになぜ?といまだに疑問に残ります。
母と過ごした濃密な時間と看取りの瞬間は、私の心の中にしっかりと刻み込まれています。
そして、
私が今後、どう生きるか、どのように終活してどんな最期を迎えるかその道のりを考える最大のヒントになりました。
まだ最終決定はしていません。
生きながら、ボチボチ決めていきたいと思います。
最期を居宅にするかどうかも。
母が書き残したメモが出てきて、母とのよい思い出になっています。
結構詩人なのでびっくり。
「長生きは良いものです。」
私も体に留意しながら、長生きに挑戦したいです。
また、2022年7月28日の最後の晩餐のメニューを残していて
当時は、もう覚えていないと言っていましたが、メモに書き残していたんですね。
普通、特上のウナギは忘れないでしょう。☺
さらに、私が処分できなかったもの