たんぽぽのように -5ページ目

父からもらった最高の宝物

それから今までみたことなかった父の涙は幾度となく見ることとなった。

強かった父が弱々しい姿に変わるのを見るのは胸が痛いしせつなかった。

母が様子がおかしいが病気だとしるまえ、父が長期入院をしたことがある。
ポリープの手術であった。
この時だって強かった。

絶対毎日通うと思われた母は行きたがらなかった。
病気のせいだったのだと今は思うが、この時は母を憎んだ。
父が寂しかったであろうと思うから。

代わりに私は毎日通った。
洗濯物を持ち帰り自ら洗濯をした。
毎日たわいもない話をした。
手術後、どうしても喫煙をしたがる父の願いを聞き点滴をもち屋上へ行った。

その帰り父は目の前で倒れ崩れ落ちた。

久しぶりの喫煙で貧血になったのだ。

動転した私に気がついた父がごめんねと言った。
初めて言われた言葉だ。


退院の日、母と一緒に迎えに行った私にお寿司をご馳走してくれた。

そして父が私にありがとうと言い御礼にズボンを買ってくれた。

流行りものを自ら選んでしまった為に今は、着る機会が余りないそのズボンは
決して捨てることのできない最高の宝物。

父の涙

父と相談し、カウンセラーの紹介していただいた病院へ再度行くことにした。

やはり私が具合悪いからという理由にして。

一人診察室に入り先生に今までのこと全て説明し、そのあと父と母と三人で診察。

先生の頭には、はっきりと病名があったに違いない。
一応MRI、CTなどをとることになった。

結果前頭葉側頭葉痴呆。
若年性である。

告知をうけ父は今までみたことのない大粒の涙を流した。
治る薬はないのですか?
このままずっと見守るしかないのですか?

希望は絶たれた。

大粒の涙は激しさを増し声とともに病院中に響き渡った。

母の手料理

撮影の帰りにせっかくだから美味しいご飯を食べて、買い物でもするつもりでした。

イタリアンのお店に入りました。

昔、パスタなどもある喫茶店で働いていた母は、外食は興味津々なのでした。

作るのが好きで、滅多に外食したことがありませんでした。
小さい時ポテトチップを買って食べたことありません。
母の手作りのポテトチップしか食べたことありません。
おやつは全て母の手作り。
誕生日ケーキもクリスマスケーキも全て手作り。

焼鳥だって家で作ります。
ファーストフードは唯一ケンタッキー数回。

母の作ってくれた玉ねぎいっぱい入ったオリジナルピラフ
キノコと玉ねぎつかったオリジナルパスタ。

この二つは特に大好きでした。
食べたくなってよくリクエストした。だんだん作り方忘れて違う味のものになった時、
違うよ。マズイって暴言沢山はいてゴメンネ。病気のこと知らなかったとは言え苦しませて、悲しい思いさせてごめんね。

思い出して自分で作ってみたよ。

あの味は…

出せなかった。

聞くこともできないし、聞いても思いだせないもんね。
二度と食べることの出来ない思い出の味。
私の作ったピラフとパスタはそれには程遠く、更に涙でしょっぱく感じたよ。