弱音を吐くことの必要性
辛いことをつらいと言えない人はたぶん限界が来て最後にパンクします。ではパンクで破裂しないためにはどうしたらいいか。弱音を吐くことなのではないかと。弱音を吐けない人のそもそもの性格は頑張り屋で我慢強い人が多いので弱音を吐くことを悪いことのように考えている人が多いと思います。弱音を吐くことに拒絶反応がある人がいるかもしれない。でもいいと思うんです。辛いときは少し弱音を吐いてみる。いつも頑張ってるんだから、頑張ってるからこそつらいなぁと感じたり疑問が湧いて理不尽さを感じたりも当然のこと。それだけ人生には色々なことが起こります。いつも頑張って弱音を吐いたことがない人が、あー、もうダメかも。あー、ツライ。やってられない。と少し弱音を吐いてみるとどうなるかというと同調してくれる人が必ず出てきます。自分にとってつらいことや悲しいことは自分だけが悲しいのではなく、他の人にとっても辛かったり悲しかったりする。ということです。その辛さや悲しみは一人だけではないということです。それは、頑張ってるあの人がツライって言うってことは本当に辛いんだろうな。でも弱音を吐くなんて珍しいなぁ。相当辛いんだろうなと伝わります。少しだけ弱音を吐いてみると、自分の周りも同じことをつらいと感じていたのかということに気が付かされる。という方が正解かもしれません。人間なんてみんな本当は弱い生き物です。それを見せないように鎧を被ってるだけだと私は考えています。どちらかというと、辛いときも【大丈夫!】と頑張って突っ走って来てしまった自分が、ある時から少し人に助けを求める術を身につけました。【自分が大丈夫】と隠しても友人達は【あなたの大丈夫は大丈夫じゃないでしょ。話してごらん】と。そんなふうにとても信頼出来る友人達が相談に乗ってくれたからです。心にのしかかる重い荷物をおろすスペースを友人達は私に用意してくれました。いつも人から相談されることが多い自分。人の相談は客観的に分析出来ても自分自身の心の処理が下手で不器用な人間でした。自分の心の逃げ場や弱い自分を発見して戸惑った時期は人間ですから度々訪れたんです。今までの自分はなんとかなる。大抵の事はなんとかなるしなんとかしてきた。ある意味自分自身が硬い鎧で身を固めていました。あー、話すとこんなに楽になれるんだってことにはじめて気がついた瞬間がありました。年齢なんて関係なくて、年上でも年下でも、的確に良い方向へ導いてくれる答えのヒントを与えてくれる友人達。やはり生きていて一番の喜びはそんな仲間達と出逢えたこと。見た目からするとかなり翻弄された人生にみえる自分の人生でもその仲間達に出逢うために着実に進むべき方向や場所へと導かれていたのかもしれないと実感できたこと。今、その道を通るからこそ、次の新たな道が用意されて現れてくる。それに気がつけたことが私の生き続けている(生かされている)原動力となっている気がしています。無理をし過ぎず生きていくこと。無理なときは無理だと言える自分を認めてあげられること。強がらず限界を知ること。どんなに頑張っても無理なときには自分をその場から逃してあげることも必要であることを知ること。人生の方法は一つだけではないことを知ること。自分の居場所も一つだけではないことを知ること。心の平穏をどれだけ保てるかが人生にとって一番の幸せであるかということに気がつくこと。なんとなくそれに尽きる気がしています。