今春、山梨小学校が閉校したそうです。
といっても、
山梨県山梨市立「山梨小学校」ではなく、
北海道豊浦町立「山梨小学校」です。
100年前の明治の大水害で家屋や田畑を失った人々3,130人が、
山梨県から北海道の羊蹄山の周辺に移住しました。
羊蹄山は、蝦夷富士とも呼ばれ、その形は富士山によく似ています。
当時の移住者たちは蝦夷富士を見てふるさと山梨を思い出していたのでしょう。
しかし現在、移住者の子孫は5軒だけとなってしまったそうです。
実は、数年前、北海道旅行をしたとき偶然にもこの北海道の山梨村を訪れたことがあります。
国道を走っているとこのような看板がありました。


山梨小学校の脇には山梨開拓碑が建てられていました。


“真帆片帆 どちらに行くも 長閑なり” 呉外
この句を胸に刻み、新天地を求めて山梨県より九十三戸(四四一名)がこの地に入植した。
ときに、明治四十一年五月五日。
この日より笹舌に尽くし難い、原生林と斗う開拓の歴史が始まった。
朔北大地に蒔いた不屈の身魂。
脈々と今もここに息づく。
山梨小学校の校舎が残っているうちにもう一度行ってみたいです。この句を胸に刻み、新天地を求めて山梨県より九十三戸(四四一名)がこの地に入植した。
ときに、明治四十一年五月五日。
この日より笹舌に尽くし難い、原生林と斗う開拓の歴史が始まった。
朔北大地に蒔いた不屈の身魂。
脈々と今もここに息づく。