渡船場跡 | こちら 第二研究室 遊(ゆう)

こちら 第二研究室 遊(ゆう)

くーさー公認唯一「草むらのヒーロー(草ヒロ)」ブログ

愛知県と岐阜県の間を流れる木曽川には、橋が無かったころにその代わりとして渡船場がいくつもあった。
今現在では県営の中野の渡しが有りますが、新濃尾大橋(仮)ができると廃止になようです。
濃尾大橋の南側の起(おこし)地区にも渡船場が有ったようでその石碑が堤防近くにありました。
イメージ 1
ここが起渡船場跡の石碑と看板です。
看板には詳しい解説が書いてあります。
イメージ 2
ここでは船を並べてその上に板を並べて橋を作ったそうです。
この起地区は昔は宿場町と栄えていたようで、大名などがこの橋を使って木曽川を渡って来たのだろう。
イメージ 3
大体このあたりに渡船場有ったと思われる。 右に見えるのが濃尾大橋
 
そしてもうひと岐阜県側の羽島市の馬飼大橋の近くにも渡船場の後のような建物が。
イメージ 4
県営八神渡船場の木製の柱状の看板がありました。
この建物が渡船場に関係があるかわかりませんが、この当たりにも渡船場が有ったようです。
場所は堤防より下の橋の登り口近く。
どうやらこの渡船は昭和51年に下流にできた馬飼大橋が完成したことにより、廃止となったようで。
イメージ 5
廃止の原因を作った便利な馬飼大橋
イメージ 6
堤防の内側には階段があり下に降りられるようになっていました。
このあたりが渡しの有ったところなんでしょうか?
この様に橋が新たにできることによって、交通の便は良くなるものの、何か大切な歴史的なものが失われつつある。