久々に城へ行きました爆  笑

山口県 岩国城!

日本100名城の一つ。関ヶ原の戦いの後岩国へ転封された毛利家臣吉川広家が築城した城です。

 

城のある山頂まではロープウェーを使用しました。実は高所恐怖症なので結構辛かった驚き(特に帰り)

何人か観光客の方もおられたので平気なフリ真顔

 



山頂までつくといよいよ徒歩登城です。

しばらく歩くと迫力の石垣です。(本丸南側)


石垣の迫力ってすごいですよね。兵士だったら見ただけで「今からここ攻めるんか~💦しんど」ってなりますわ。

 


大手門 きっとこの上に櫓があったのでしょう凝視

 



ついに天守!

南蛮造りと呼ばれる6階が張り出した変わった形です。

 



大釣井

 

城の水を確保する超重要な場所で、非常時には武器弾薬の収納や、脱出口も兼ね備えていたそうです。井戸ってめちゃめちゃ大事だね驚き

 

久々に城攻略でしたが兵士の気持ちになって(?)あれこれ考えながら歩くのは楽しかったです爆  笑

 

これからもガンガン城攻めします!

 

 

 

岩国城自体は7年で一国一城令により破却。

築城主の吉川広家は関ヶ原の戦いの時、東軍徳川にひそかに内通。裏切るかわりに毛利家の所領安堵を徳川に約束させます。

そして本戦では西軍であった毛利家は戦いに加わらず静観。西軍敗北の一因となりました。

しかし戦い後言い渡されたのは「毛利家は取り潰し」「吉川は大名として長門・周防を与える」

話が違うと吉川は毛利家存続のため自分に与えられる領地を毛利に与えるよう嘆願し、なんとか受諾されます。

結果的に大減封となった毛利家。その後吉川は毛利家での立場を悪くし、毛利家の盾となるよう本拠地からもっとも離れた岩国が与えられます。

その後徳川からは一大名として、毛利家からは家臣として扱われ、微妙な立場となります。

岩国城はそんな吉川の苦悩の日々を想像させてくれる城でした泣