これまで、考えることが成長だった。
そして言葉にすることが情報の整理になっていた。
そう思っていた。でもひとつ欠けていた。もっと入れなければ。

 学ぶことはフローだ。情報をインプットし、それについて考えることで付加価値をつける。そうやって自分のフィルターに通したものをアウトプットする。そんなフローを作ることで徐々に固定資産は増えていく。複数の局所的情報は大局的情報となり、インテリジェンスとして自分の中に残る。
 考えることはとても重要なことのように思えるが、いや確かに重要だが、どんなに想像力を働かせても外からの情報無しでは生産がストップしてしまう。更に厄介なことに、3つのうち、考えることだけに時間を費やしてしまっても、それなりにその中で考えは変わっていくから成長した気になってしまうのである。これはとてもやりがいのあるプロセスだし、他人の評価を一切受けないから満足しやすい。そしてそれが間違った方向に向かっているかどうかの見極めは、はじめのうちはとても難しい。だから、気づいたときにはもう修正する余裕がない、なんてことになってしまう。
 俺には決定的にインプットが足りなかった。情報フローバランスが悪かったのだ。もちろん、生産に時間をかけてきたから、こんな考えにも至ったし(実際こういうこともある)、その分のアドバンテージも持っている。しかし、たまにやってくる劣等感はおそらく情報インプット量の欠落から来るものではないだろうか。要するに、俺は圧倒的に勉強不足だったわけだ。それでなくても、経験に依存する弱い生き物だって知っただろう。豪雨のように自分に降り注ぐ情報の中にいないと、俺の中の資源は枯渇してしまう。

 ちょっとこれをみんなに話してみよう。そして決定的な理論だったらこれを教育理論に昇華させて学校を作ろう。