思考が飽和状態になろうとしている。

 自身の哲学や思想、考え方とひたすら向き合い続けて少し前からそういったものが変わらなくなってきている気がする。たぶんそれはいいことなんだろう。何度考えても「ああ、またこれか。答えは変わらないな。」となることが増えて、こういうのを一般的には信念と呼ぶんだと思う。
 つまるところこれも矛盾なんだけど、こういう状態になると答えが右往左往していた頃を羨ましく思う。答えが見えないことは不安であると同時にどこか心地よいものであった。答えを見つけてしまえば思考停止。大人になるとはこういうことなのか、大人になるとは「見つけてしまった」ということなのか。答えが分からない状態というのは選択の余地があるということで、それは未来への可能性だ。

 大人は若者に、「取り返しのつかないことをしないように」と諭す。失敗する可能性を最小限に抑えて、堅実に選択し続けろ、とそれまでの答えを指し示して導く。それは社会全体の利益を目的とする知識の蓄積であり、素晴らしい知恵の連鎖だ。
 しかし、取り返しのつくことなんてそもそもない。消しゴムで消せるように鉛筆で書いて、書き間違えても文字は消せるが、「書き間違えた事実」は消せない。消し去ることができるように、責任を免れるために修正の効く道を選び続ければ、人は自分の責任で行動することを忘れていつしか自由は去っていく。


いつ僕は行き着けないと知るのだろう
改めて心に決めた幸せに
僕が死にそうになっている時
いつになったら僕は見るのだろう
僕に必要なのは内側を見ることだけ

立ち去るべきじゃないと知ったんだ
まだ試すチャンスを手にしていないのに
僕が死にそうになっている時
本当に必要なのは何だろう
必要なのは僕の内側を見ることだけ

"Snow"


俺は取り返しのつかないことをして
また新しい世界を見て、新しいエッセンスを取り入れることに決めた。
そうすることで飽和状態の俺の内面に新しい、見えない道を作る。