カメレオンの話をしたことがあったかな。2007年の暮れに、一人で書いた詩だ。色々なところを旅していたカメレオンが、いつしか自分の色を忘れてしまって、あるのかもわからない自分の本当の色を探しにまた旅を続けるって話だ。色んな友達と出会って、色んな国へ行って、色んなカルチャーに触れたそれまでの経験からインスピレーションをもらって思いついた。
 そんなカメレオンの話を本屋で偶然見つけて、タイムリーだったのでプレゼントとして買うことにした(俺はある条件が揃うと人にプレゼントをあげるようにしている)。たぶんアメリカかどこかの絵本で、英語で書かれたそのストーリーは俺の感性にとても似ていた。ラストシーンは少し違うんだけど、「変わり続ける」って点が同じならば俺がカメレオンに対して持ってる感情に近い。

 実は求めているだけなのに、何かを与えているという錯覚をしてしまうことは、よくある話だ。だから誰かにプレゼントをするときなんてのは、特に「なんで自分はこんなことをしているのか」ってことをよく考えたほうがいい。そうしたら、実は自分もなかなかいいプレゼントをもらっていることに気づく。


おれはガキの頃からタフな世界で生きてきた。
だから「何もやらない、全部おれのもの」という考えを信条としていた。
それだけに、自分の一番のお気に入りを他人に喜んで差し出す、という彼女の考えは衝撃的だった。
以来、おれはこの考えを常に心のどこかに持ち、
「これだけはだれにも渡したくない」と思うたびに、
「そうじゃない、手放さないといけないんだ」
と思い直すようになった。
中毒者の自助ミーティングで最初に学んだことのひとつは、しらふを続けるには、
別の中毒者に手を差し伸べることだった。
自分のエネルギーの入れ物を空にすれば、
そのたびに新たなエネルギーが注ぎ込まれるというわけだ。

               アンソニー・キーディス「スカー・ティッシュ」より

 何か満たされないと思ったら、何かを外に出してしまうことで案外道は開けるのかもしれない。ただ、心の中には簡単にどこかへ捨ててしまえるものばかりではないし、自分の外に出すってことは難しい場合が多い。だからこそそれを助けてくれるような人間が周りにいれば、常に新しくなれるんじゃないか?
 別にこんなところで偽善を並べ立てるつもりはない。人間のマインドにキャパシティがあると断言するつもりもない。ただ、何かを出すことで確実に新しいものを受け入れやすくはなるし、誰かに受け止めてもらうことでそれはメッセージの発信につながる。


グーチョ・マルクスは昔、
自分を会員として迎えてくれるようなクラブには絶対に入りたくないと言ったそうだが、
おれの心境もまさにそんな感じだった。
おれは手に入らないものが欲しかった。
タダですよ、さあどうぞ、と言われるよりも、手強いものに挑むほうがよかった。
たとえ失敗して手に入らなかったとしても、そのほうがまだましだった。

               同上


 カメレオンは、常に自分の色を捨てている。あるいは、周りにプレゼントしている。そして新しい色を手に入れて、その繰り返しだ。ただ、「変わること」だけは捨てない。