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ほんとそれw
覚えてます?覚えてないですよね?私だってところどころうろ覚えです。(おい)でも記しておきますね。長いですけどよろしければお付き合いを。
6月に香川と東京で行われた中継演劇公演「おやすみ、おはよう、こんにちは、おつかれさま」、ご来場いただいたみなさま、気にかけてくださったみなさま、そしてSNSでの感想、予想以上にたくさんいただきまして、本当にありがとうございました!
演劇を15年ほど続けてきた身として、ずーっとなんだかんだで気にしていた「これは演劇なんだろうか?」という疑問、いやむしろ懸念。
小屋入りして、お客様に観ていただいているのを後ろから観ていたら私的には「めっちゃ演劇やん」でした。
ずっと心のどこかにはあるけど隅に追いやられてしまっていた「演劇」を思い出すためにみんなで「演劇」についてとにかく話し合いました。
でも結局「演劇」=「私」なんじゃないかな、と思い始めてきて、ならば「演劇であること」に敢えて焦点を置かずに、登場人物たちのただただ生きている姿を表現として舞台に上げたい、この人たちのことをとにかく知ってほしい、何より私が1番知りたい、と思って作るようになりました。
それが結果的に、あくまでも私の中で「おもろい演劇」になったのは、演者たちが普段知られることのない丸一日の自分をさらけ出してくれて葛藤しながら最後までついてきてくれたからだし、劇作アドバイザーを務めてくれたあっきーが私の感覚的なよくわからん話からいいものを抽出して私の「そう!それがしたいの!」という核心を突っついてくれたからだし、企画発案初期からずーっとアイデアをくれてサポートし続けてくれた制作スタッフのおかげだし、通信にも映像にも何の知識もない私に色々教えてくれたり稽古に付き合って感想言ってくれた技術スタッフのおかげだし、理解を示し、応援、協力してくれた夫と家族のおかげだし、もちろん公演に足をお運びいただいたお客様のおかげだと思っています。他人の1日を観るってしんどいし相当なエネルギーを使ったんじゃないかと思います。
制作していた1年ちょっと、みんなのおかげで私は孤独ではありませんでした。
子育てしていると、いつの間にか孤独感に苛まれるという時があります。社会から取り残されているような、そして私が全て悪いんじゃないか、という感覚。
もちろん独身の時も孤独を感じるときはありました。でもまたそれとは違う、寂しい、ではなくて、とにかく辛い、みたいな孤独。
月並みなんだろうけど、私は本当に結婚、妊娠、出産を経験して人生が変わりました。
大好きな他人と毎日寝食を共にすることでお互いの今までの生き方を知り、自分の生き方を客観視することができて、お互いのいいところを取り入れながら暮らしていこう、と思えました。
妊娠したことで「母」という存在そのものを見つめ直しました。こんなの知らない、思ってたんと違う、の連続。他の妊婦さんと関わることで更に命を産む大変さとかエネルギーとか、俗に言う、母は強し、をしみじみと感じました。
出産、子育ては、もう、言うまでもなく、なんていうか、うまくいかない、しんどい(笑)
そんな様々な人がやっている「風」に見えるこの一連の流れ。
実際に体験するとやっている「風」に見せるのすら大変。
え、てことはみんな涼しい顔して生きてるけどもっと大変なこと色々あるんじゃないの?
もっと他人の大変なこと聞きたいーーー!!!
てなりまして、そうしたら出会って10年以上経つあさみさんの病名すら知らないことに気が付き・・・他人どころか仲間のことすらよく知らないじゃないか!
てなるとどんどん共演者への興味が沸いていき、もう、これはみんなの丸1日を提出してもらわなければ!ということになりました。
みんなの日常を知るうちに、私はこの人たちを「認めたい」と思い始めました。
誰に何を言われようが私はこの人たちを承認しなければならないんじゃないか、とも思い始めました。
しかしそれは同時に私を「認めてほしい」が生まれていることに気が付きました。
娘に対して母である私がしなければならないと思っていることであり、私が毎日しようと頑張っていることでもあったのです。
でもそうなるとなんか違う。なんだか重いし、そもそもこの人たちは私が認めなくても褒めなくても多分好き勝手生きるよなぁ…。
と考えているとふと夫のことが過りました。
夫は私のことを基本否定しません。かと言って私のやることをすべてイエスというわけでもありません。ただ私を許してくれているのだと気付きました。とりあえず受容してくれている、という感じ。これはとても生きやすいのです。
私もみんなを「許したい」そして私も「許しておくれ」という気持ちで演出をつけていくことにしました。
これはもう、どの場面がどうとかはその時に細かく自分の中で作っていたので詳しくは忘れましたw←
そして、「そうか!誰も私の代わりはできないし、私もあなたの代わりはできないんだ!」ということに気が付きました。
私のことは私が語らなくてはならない。ということで、出番が少なく24時間をお見せすることができなかった私が導入として本編前につらつらとしゃべる、というシーンを作りました。
また、自分は自分として、でも同じ時間軸、同じ生活圏で生きる他人と出会うシーンを加えました。
自分は紛れもなく自分でしかない、だらけが集まって生きている世界で、もしかしたら出会っていたかもしれない人たち。
なんか日常でも充分劇的なんだよなぁ・・・と。
私は私、と散々言っていますが、1カ所だけ私が作って他人にしゃべらせたセリフがあります。
(セリフは出演者みんなからもらったもの、みんなと話しているときに出たフレーズを基本使っていました。)
「あさみ」が仕事場であるラジオ局でパーソナリティとしてお便りにコメントをしている、という場面です。
「色んな人がおって当たり前なんですけどね。うーん。そうだなー。私は応援したいですね。みんな頑張ってるじゃないですか。生きてるだけで大変ですよ、うん。しんどくなきゃいけない、みたいな生き方はもうしたくないかなー。」
これを目の前にいる特定の誰かに言うというわけでもなく、かと言ってアドバイスになっているかというわけでもなく、自分だけに向けているわけでもなく、というのが私のやりたかったことなのかな、と思ったりもしています。
あとは、当初「どこにいてもどんな場所でもどんな状況でもできる演劇」を目指していたのですが、結果、できたとは思うんだけど、やっぱり会った方がいい、てことがわかりました(笑)いや、まだ模索しがいはあるだろうけど。
まあでも本当にやってよかったです。
あきらめかけたこと何度もあったけど、公演を打ててよかった。
KS Corporationの活動としては今後は未定です。
このブログは残しておくので、また何かご縁がありましたら拝見いただけると幸いです。
本当に本当にありがとうございました。