年始からつづく地震、飛行機事故、火災

2024年は本当に大変な始まりとなりました。





とくに被災地の方々のことを想うと、

とても辛い気持ちになります。ショボーン





同時に、ここで落ち込んでいたって

何にもならないから、私たち九州の人間も

普段の生活を普段通りに過ごしつつ、

できる支援をしたり非常時に備えたりしなければ

と思っています。。。








年末年始、ずっと子どもたちと過ごしていましたが、

ちょうど元旦は自宅でくつろいでいたところに急に

地震のニュースが入ってそこからは

我が家もテレビをつけていました。





次の日は、飛行機事故、そしてその次の日は、

私たちの街の商店街の火災。。。





これらを目にした7才の次男はかなり

不安になった様子で

「突然泣き叫ぶ」「トイレに一人で行けない」など

様々な変化が出ています。。。アセアセ





「地震来ないかな。」

「ママと会えるのかな」

「なんで人はしぬのかな」

「来世でもママと会えるのかな」

とも、、、。ショボーン




私たち大人も、ずっと火事の映像を見ていると

怖くなりますが、小さな子どもはもっとだな、と

思います。ピリピリ




長期化してしまうと、

かなりのストレスになると思うので、

我が家ではテレビの時間を意識的に

かなり減らしました。




大人と子どもの、両方の心のために。お願い




ニュースは最小限しかみず、次男がみたがる

妖怪ウォッチを見て気を紛らわせています。ダッシュ




自分や子どものこころを守るために、

ニュースを見過ぎない、という工夫は必要なことだ、

それに罪悪感を感じる必要はない、

と思うことにしました。気づき







共感疲労への対策です。




こちらの記事もわかりやすいです。







それから災害に対する備え。




これを今話し合うことで少しでも

子どもが安心するように、と思い実践しています。

地震の話題を避けすぎたり、

「ここでは起きないよ」などと根拠のないことを

言うのも違う、と思ったからです。二重丸





子どもと一緒に、ランドセル用の非常用ポーチを

作ったり、避難時に持ち出すための非常用リュックを

準備したり。電球





そして14才の長男とも、

避難場所(家族の集合場所)を再確認したり

携帯をちゃんともってでかけるように話したり、

家にいる時に子どもと一緒にはなしました。キョロキョロ





私は、非常用リュックの中身、よく考えると

全く足りない状態だったし、入れていたものが

期限切れになったりも、していました。ガーン





尾石 晴 さんの

Voicyをよく聞いているので、

こちらを参考にしました。







家にいる時には次男は

ずっと、くっついていたがるので、

いつも以上にハグしたり、

トイレにもついて行っています。OK





「甘やかす」のではなく、

「必要なときに、きちんと甘えさせてあげること」

これを区別しているつもりです。





こういうときには、「甘えていいんだ。」

と感じさせて、心の基地になりたいですね。

私が子育てでものすごく大切にしてきたことです。ピンクハート





クリニックではまだ火事の影響で

電話の不通がつづいており、

通常の生活に戻っていません。アセアセ





そして、2024年1月10日

私の師匠であり憧れでもある

滋賀県の居原田麗先生がお亡くなりになったという

ことを知りました。

闘病のことは知っていましたが、

それでもまだ受け入れられない気持ちです。。。




11年前に出会い、

滋賀県の移転前の小さなクリニックの時代に

実は私は勤務させていただいたことがあります。

そこで美容皮膚科の基礎を、麗先生から

教えていただいた経緯があります。




Qスイッチレーザーや炭酸ガスレーザーを

初めて触ったのも、ボトックスをはじめて打ったのも、

麗先生に教わった時でした。お願い





お互いの長男の年齢が同じだったこともあり

子育ての話も、

夫婦の悩みの話もたくさんしました。




外来を何度もご一緒させていただきましたが、

先生の診断と処置はとても的確でした。




先生がいなかったら私はこの仕事をしていなかった、

と思うくらいに大きな影響を受けました。おねがい




具体的な手技以外にも




・ニコニコしながら診察する

・明るい表情と真剣な表情とバランスよく

・とにかくわかりやすい言葉で説明する

・一定のリズムでテンポよく診察を進行させる




というのも、

麗先生のマネをして始めたことです。




産休代診として勤めさせていただいた後も

、何度も滋賀県に行き、外来を見学させていただき

ながらピコレーザーのことなどを

教えていただきました。

私はもうそこの勤務医ではないのに、

不思議なくらい惜しみなく教えてくださいました。




昨年5月に学会でお会いした時、

「先生があのころたくさん教えてくださったことに

対して何も恩返しができていなくてすみません。

直接恩返しできてませんが、先生がしてくれたみたいにして、福岡で後輩の先生たちに、私もいま美容皮膚科を教えています。

それが私にできることだと思っています。」

と伝えました。




今考えると、最後にお会いした日となりました。




たまたまお互い黒い服で、

ブースのテーマカラーも黒で 

「かぶってるやん。笑」と笑い合いました。




そして、

「もえみちゃん、まじめやから〜。」と、

「もえみちゃん、がんばってるなぁ〜。」

と笑いながら関西弁のイントネーションで 

おっしゃっていたのを思い出します。悲しい





美しいのはもちろんですが、

とても可愛らしくもある方で、

そして、ものすごく仕事もできる、

麗先生が大好きでした。ラブラブ





ずっと私が悲しんでいるのは

先生は望まれていないはず、

日々の診療や発信を普段通りにつづけることこそが

恩返しであるはずなので、

これからも私は福岡で地道に続けます。





辛い時には辛いって言っていいと思います。

大人だって辛いです。

大切な友人を失うことは誰にとっても辛くて怖いこと。





でも、

不思議と、これをどこかで見てくれているような、

いつまでも見守られている感覚です。スター





麗先生、たくさんの思い出を、学びを、

ありがとうございました。

心よりご冥福をお祈りします。