久しぶりに肉じゃがを食べようとしゃぶ用のお肉を買って帰ってさあ、調理しようと触ってみると、とてもお肉が痛いのでビックリしました。一緒に買った秋刀魚は痛みを感じませんでした。魚には痛みの感覚がないからなのかもしれませんが、お肉の痛みはちょっと深刻なレベルでした。
そのまま食べる気にならなかったので、ヒーリング装置の上でエネルギーを注入してブルーソーラーウォーターで洗ってから調理しました。
こういうお肉を何もせずに食べていると病気になってもおかしくないと思いますよ。
気を付けたいものです。




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久しぶりに、新聞を読んでみました。
昔に比べて、随分と広告が増えていて、内容が無くなったなァと驚きました。

今や新聞記者はおらず、取材などは殆ど行っていない事がよく分かりました。
なぜなら、記事の殆どは警察発表の事件ばかりだからです。
どの新聞も同じような内容なので、どこかでとりまとめた情報が皆に配られているのでしょう。

報道規制や情報操作も簡単にできる基盤ができているようです。

過去をみるといつの時代も混乱してくると、情報を操作して大衆心理を操ろうとして来ました。
報道されている内容を鵜呑みにしない事が肝要だと思います。

もう、既にそうなりつつありますが、これから新聞はなくなっていくのでしょうね。




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不安と恐怖というのは、どのにあるのでしょうか。
それは世の中の状態のように見えるかもしれませんが、実際には個々の人の心の中にある記憶の事です。
殆ど記憶を持たない幼児に不安や恐怖がないのはその為です。
怖がりの人は恐怖の記憶が沢山ある人の事です。起こった事が恐怖の記憶になるのではなく、怖いと思う行為によって恐怖の記憶が心の中に刻印されます。

出来事というのはただ、起こっているだけなんですが、恐怖心を持つ人は、それを怖いというフィルターを通して見てしまうという事なんです。

出来事そのものは変える事ができませんが、その出来事に対する自分の反応は変える事ができます。
ですから、自分が怖いと思っている出来事をよく観察して、それがどういう事なのか理解すれば解消することができます。
もしくは見方を変えることで、記憶に対する反応を変えることで解消することができます。

例えば、人から捨てられる事を恐れている人がいます。
その人の中には依存心が強い人に見られる傾向です。
自分が何かに依存して生きていると考えているのかもしれません。

人間がもっとも恐れているのは死に対する恐怖です。

死とは何か、生とは何かについて、どういう事なのか私達はもっとよく観ていく必要があると思います。

もし、『死は終わりではない』という考え方が一般化すれば世の中の不安と恐怖は相当軽くなり、
人々はもっと自由に生きるようになるでしょうね。




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