インターネットと音楽とお肉と白飯が好き
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アーティストとデザイナー

アーティストとデザイナーは全く違います。


アーティスト、すなわち芸術家は自らのアイデンティティを主張し、その唯一性を評価されなければならない

デザイナーはクライアントの要望、もしくは何らかのニーズを見出しそれに答えなければならない



どちらが優れているということはないと思いますが、
アーティストであるべき時とデザイナーであるべき時は全く異なります。

しかし、それを混同してしまうことがあると思います。実は凄く細かいところで。

自らのスタンスを場面場面で合わせるか、突き通すかは自由だけど、意識はするべきだなぁとつくづく思うので、自分が忘れないようにここに書いて残しておきます。

短めですが今日はここまで

想像力の使いどころ

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現代人は想像力が足りなくなりがちなのかもしれません。

和歌山の「中辺路」という地名を知っていますか?
熊野古道の近くで、まだ青々とした自然が世界を征服している土地です。
どれくらい自然が多いかというと、もののけ姫の世界をもうちょっと「もののけ」寄りにしたくらい田舎です。



そこには父方の実家と先祖代々の墓があります。来年の就職に備え、今年は少し長めに四日間帰省しました。

実家とはいえ、祖父と祖母はすでに他界していて家には誰も住んでいないため、家電は最低限しか残っていません。それでも毎年、一日二日程度は特に不自由無く過ごせていました。

しかし今年は少しだけ変化がありました。
それは、テレビが地デジ化で見れなくなってしまったことです。

たまたま父がラジオを持っていたのでそれをテレビ替わりにして聴いていました。


そこで実感したのが自分の「自分の想像力の無さ」です。
野球中継一つにしても、ラジオをなんとなく聴いているだけでは戦況がイマイチ掴めず、しっかりと把握するにはかじりついて聴いていなければいけませんでした。
ラジオしか無かった頃の人はこれでちゃんとした情景が浮かんでいたのか?と疑問すら感じます。


ただラジオに慣れていないだけかもしれない。しかし、結局四日間慣れることができなかったのは、自分があまりにリアルな情報に触れすぎているせいだと考えています。

多分ラジオを聞く時、景色を目に浮かべる必要はなく、想像と空想で補完してしまっても良いのでしょう。
でもそれでは少し物足りないのです。そして無理して一番大事な事柄に思考を向けられない。

昔の人は文字で、
ちょっと前の人はラジオで、
今の人はテレビで、
最近の人はネットで情報を集めています。

文字から音声になり、映像になり、リアルタイムになってきたわけです。
どんどんほしい情報だけを選べるようになって行き、ほしい情報は手軽に深く知ることができるようになりました。

そういうテクノロジーの進歩でディープな情報に触れる機会が増えていくことはとてもいいことです。
しかし、現代ほどリアリティを求められる環境は本質を鋭く突く力に欠けるのではないか。

今でもネットなんかで発信する時は、どうしてもテキスト中心になってしまいます。
こういう今だからこそしっかりと物事の本質を読み取る力。そして、伝わる日本語の書き方をしっかりと練習しておくべきなのかもしれない、と思います。




p.s.今日は初音ミク四周年

僕と大輔君の承認欲求の形

就活中は自分たちはなぜ働くかを友人とよく考えていました。
特に「大輔君」というガチャピンそっくりな友人とは、会うたびにそういう話をしていました。


ある日、突然大輔君が「自分たちがなんで働くかは承認欲求で考えたら整理できる」と言い始めました。
彼と私の例で整理してみます。

【大輔君の場合】
全ての人類から認められたい。(承認欲求)

そのためには地位が必要

そのためにはお金が必要

働く


【私の場合】
関わりを持つ人からの信頼を得たい(承認欲求)

「認められたい!」と思える人が集まるコミュニティーと、認められるだけのスキルが必要

企業に所属する


こんな感じです。
この話をしてから目標がより明確に見えて1ステップ上の自己分析が可能になった気がしました。
大輔くんにはホンマ感謝してます。




そして、
今朝この記事を拝見しました。

労働と承認
http://yanotakashi.com/archives/806


株式会社HALOの代表取締役社長である矢野卓さんのブログです。


ぜひ前日の記事(労働と自由)と合わせて読んでみて欲しい記事です。特に就活生に。

自由(何者にも縛られないこと)と承認(所属し認められること)を両立させることの難しさについて書かれていました。
僕はそのジレンマの存在に初めて気付かされ感銘すると共に、悶々とした気持ちでいっぱいになりました。
その「悶々」の理由は、大輔くんとの話では「自由」という概念を全く含まずに考えていたからだと思います。

きっと僕達は「承認欲求満たされた→自由が与えられた→したいことができる→承認されるために動く」という考えに自然と収まっていたのでしょう。あらまぁ!とっても日本人的!


それはなぜか。
もしかしたら、仕事をするにあたっての「実現したい自己」がまだ無いのかもしれません。感覚としたは一番上が承認欲求でしたから。

僕も大輔君も没頭できる趣味を持ち、それで自己実現を達成しようとしています。
ある意味、それで満足してしまっている側面もあります。

しかし、もし自由と労働が両立できる環境があるとしたら、「実現したい自己」を持つことで最高のモチベーションを自分に演出できるかもしれないと思いました。




ちょっとずつ考えておこうと思います。