当時としては常識外れ、いや珍竹林=チンチクリンと言った方がいいような、超小型車ミニが登場したのは、1959年=昭和34年だった…日本ではブルーバード310が誕生、一個2400万円という、金の鯱=シャチが、名古屋城の屋根に二個も載った年だった。

写真:1960年代ローマ・ビットリオエマヌエレの前で。

 ミニの正式名は、BMC・DO15…後にサーの称号をもらう、アレック・イシゴニスが開発した車だった…BMCは、オースチンとモーリスの合併で生まれた。

 で、ミニはオースチンと合併する前のイシゴニスが、モーリスに居たころの、WWⅡ中に考えていたアイディアだったそうだ。

 オースチンと合併後、イシゴニスが提案したミニは、経営トップのレナード卿が気にいらず、没になってしまった。

 そうこうするうちに、スエズ動乱でのオイルショックで、ガソリン価格が高騰すると、燃費のいい小型車が必要になり、陽の目を見ることに…ミニは強運の持ち主だった。

 ちなみに、イシゴニスはモーリス時代にも、傑作を生み出している…1500万台も売り上げた、モーリスマイナーが、彼の作品だった。

 ミニは、燃費が気になる、大衆向け廉価車のはずだったが、裕福な連中も買い、改造チューニングでレースをするヤツも現われた。

 それに目をつけたBMCは、チューニングの名手、ジョン・クーパーに白羽の矢を立てた…で、カタログに載ったのが、ミニクーパーで、1961年のことだった。

写真:ミニクーパーS。

 で、この日から、廉価版大衆車は、小型スポーツカー=ボーイズレーサーに変身した。

 ミニの心臓849cc・34馬力は、997cc・SUキャブ二連装で55馬力にアップした…140㌔近いスピードを制御するために、7㌅ディスクブレーキも装備した。

 ミニクーパーの、草レースではなく、国際レースでの初白星は、ビートルズが旗揚げした、1962年のチューリップラリーの優勝だった。

 それを手始めに、世界中のサーキトやラリーで、ミニ旋風が吹き荒れた…結果は、信じられないような、135回という金星を挙げたのである。

 翌1963年、クーパーは気筒容積を1071ccに拡大して、クーパーSを発売…ウイスキーのサントリーが、ビールを売り出した年だった。

 クーパーSは70馬力になり、最高速度も152㌔に跳ねあがり、まず強豪揃いのアルペンラリーでクラス優勝…念願のモンテカルロラリーでは、総合優勝を果たした。

 1964年には、1275cc・76馬力の1300Sが登場。より戦闘力を増して、ついに最高速度も100㍄=160㌔に到達。

 破竹の勢いは続き、モンテカルロラリーでは、1967年まで王座を譲らず、優勝四連覇という偉業を達成した。

 その後も、ミニクーパーの活躍は続くが、1969年にBMCがレイランドと合併して、BLMCが誕生したときが、活躍するミニクーパーの終焉となった。

 1969年は、フェアレディーZが誕生した年だが、以後のミニクーパーは栄光の名前だけで、ジョン・クーパーの関与はまったくない。

 が、ミニそのものの人気衰えず、日本のファンにも愛されて、ローバージャパンが輸入を継続した。

写真:ローバーミニ・ケンジントン1.3i/大磯試乗会1996年。

 そのころのミニは、大衆車ではなくなり、可愛さ優先のアイドル的存在となっていた。

 計器板を中央に、棚だけだったダッシュボードは、木目インパネにATもエアコンも、というように、初心を忘れた豪華な仕上げになっていた。

 が、ローバーの営業不振で、1994年BMWの傘下に入り、2001年に新ミニがBMWから誕生する…が、BMW自身が名乗るように、ミニの初心はどこえやら。プレミアムカーになり、サイズからして、もうミニとは呼べぬ車になった。

 # ミニ

 # オースチン

 # イシゴニス

 # モーリスマイナー

 # ジョン・クーパー

 # モンテカルロラリー

 # BMC BLMC