私と姉が小学校1、2年生の頃、欧州の某国で暮らしていた時期があります。
70年代の夏休み、我々一家は中古のフィアットに乗り込んで数週間のバカンスに出発しました。まだ小さかった三姉妹でしたが後部座席にギュウギュウに詰め込めれ、確か足元にも荷物が溢れていました。
こんなタイプのミニカーです。
速い乗り物が苦手だった私でも「このクルマ、のろいなぁ」と思っていたので、時速100㎞も出ていなかったかもしれません。とにかく旅行そのものよりも長時間過ごした狭い車内の方が印象に残っています。
旅の前半はヨーロッパ各地に散らばる両親の旧友たちを訪ねて回りました。そして仕上げに南仏の沿岸部コート・ダジュールを目指したのです。
コート・ダジュールと言えばカンヌやニースなどの高級保養地が思い浮かびますが、我々が向かったのは華やかなリゾートから少し離れた郊外のキャンプ場でした。
ただ、ここは普通のキャンプ場ではありません。
そう、何を隠そう欧州名物の、
嬉し恥ずかし
ヌーディスト・ビーチ
だったのです。
もちろん父の趣味です。
まだJWでは無かったとは言え、なぜ母が反対しなかったのか不思議ですが、母もまだ20代。きっと好奇心が勝ったのでしょう。
ヌーディスト・ビーチには日本の温泉と同じく幾つかのルールとマナーがあります。
1.エリア内での写真撮影禁止
これは特に説明の必要は無いと思います。
2.ヌーディスト・エリアでは全裸が基本
当然と言えば当然の事ですが、ここで裸を楽しむ人たちはあくまでも自然を楽しむナチュラリスト。決して見世物として脱いでいる訳ではありません。だからこのエリアに着衣のまま踏み込んでヌーディストたちを見物する、というのはマナー違反です。
一般エリアから柵で仕切られている訳ではありませんが、手前に「ここよりヌーディスト・エリア。着衣無用」の看板が立っていますので、脱ぎたくない人はここを迂回しなければなりません。
逆に気にならない人はここを通る時だけ丸腰になれば良いのです。
日焼けや怪我を避けるためにTシャツやシューズは許可されているので、例えば海岸線をジョギング中の人は下半身だけ一旦フ〇チンになりフルンフルンとヌーディスト・エリアを駆け抜け、再びジョギングパンツを身に付ければ良いのです。
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さて浜辺のキャンプサイトに到着し、持参のテントを設営すると誰よりも先に父がスッパになりました。
父は全裸で大地を踏みしめるように立って、海を、そしてその手前に溢れるヌーディストの集団を眺めていました。その満足そうな表情は戸惑いと共に今も心に焼き付いています。
次にゴソゴソとテントで着替えていた母が出てきました。
しっかりと水着を着用して。。。
「え?何で?ここは裸になるのがルールだってお母さん言ってたじゃん!」
「嫌よ。ここはお父さんが来たいって言うから来たの。お母さんは人前で脱いだりしないから!」
本来はビーチの管理人や他のヌーディストたちに厳重注意される案件ですが、シーズンのピークで混雑を極めておりそれどころでは無かったのか、外国人女性という事で大目に見てもらったのか、母は数日間の滞在中一度も注意されませんでした。ただ、ヌーディストの中で一人だけ水着着用というのは逆に悪目立ちして、ある意味全裸よりも恥ずかしい状態ではありました。
三姉妹はまだ羞恥心が完成する前の年齢だったので裸になる事に抵抗はありませんでしたが、何となく母への連帯感から下着のパンツだけは身に着けていました。他の子供達が時々「何で~⤴パンツ~⤴」的なフランス語で指摘して来る事もありましたが、そのたびに「ういうい、せ・ぼ~ん」と笑顔で返してトラブルを回避しました。
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ところで、さんさんと降り注ぐ太陽の下に全裸の男女が集う光景というのは一体どんな感じなのか、行った事の無い人にとってはなかなかイメージするのが難しいかもしれません。
ここで、ヌーディスト・ビーチの実態を皆さんにお伝えできるのは大きな喜びです!(←JW大会風)
まず、圧倒的多数は水着を着ていても全裸でも大して印象の変わらない高齢者たち、その次に多いのが身体のあらゆるパーツが重力の法則に従って絶賛降下中の中年男女です。
どんなに目を凝らしても、
裸のブリジット・バルドーや
全裸のアラン・ドロンを
見付ける事はできません。
人々がヌーディスト・ビーチに集まる一番の理由は、やはり何と言っても圧倒的解放感を味わうためです。私たち三姉妹も海に入る時はパンツを脱ぎましたが、この何物にも縛られない感覚、気持ち良さは言葉で言い尽くすことができません。水から上がった後も濡れた水着に不快感を感じること無く、お日様を全身に浴びる幸せ。冬が長い欧州の人々が、衣服も階級も脱ぎ捨てて大自然のパワーを全身で取り込みたくなる気持ちはとても良く理解できます。
もう一つの理由は、水着のあとを付けずに綺麗に日焼けしたいという願望かもしれません。
これも気持ちは分かるのですが白人の肌は直射日光に弱く、ヒスパニック系のような健康的な小麦色になる事はまず不可能なのが問題です。
中には年季の入った日焼けフリークもおり、本当に白人なのかと驚愕するほど赤黒く色素が沈殿し、潤いを完全に失った脱皮中のトカゲのような皮膚を自慢げに晒している人もちらほら見掛けます。
でも一番悲惨なのは張り切ってビーチに到着した日焼け初心者の白人たちでしょう。
彼らはさっそく衣類を脱ぎ捨てると、わざわざ照り返しの強い水際を選んでいきなり生白い肌を直射日光に晒します。間もなく子供心にも「あ~あの人ヤバいな~」と心配になるような鮮やかな茹でエビ色に変色し、日が傾く頃になると他の人に支えられながらヨロヨロと救護室に向かう全身やけどの人が必ず現れたものです。可哀相なのですが、やはり全裸ゆえの可笑しさも同時に漂ってしまうのが余計に気の毒でした。
そう、ヌーディスト・ビーチというのはエロチックでもロマンチックでも無く、
一言で表現すればコミカルな世界でした。
先ほども書いたように日焼け防止のTシャツを着る事は許されていたので、快晴の日は多くの人がシャツと麦わら帽でしっかりガードしながらも下半身は丸出しという何ともシュールな恰好をしていました。
キャンプ場に滞在していると互いに顔見知りになるので、上記の恰好をした男女が輪になって談笑している様子はとても正気の沙汰とは思えないヌーディスト・ビーチの風物詩と呼べる光景でした。
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キャンプ場での食事は、近くのスーパーで簡単なものを購入して共同のキッチンで頂きました。
私はお行儀良く座って待たなければいけないレストランの食事よりも、海辺で食べる缶詰のスープにバゲットの方がずっと気楽で好きでした。
ある時、皆でスーパーに行った時に母が「わっ!エスカルゴがある!」と声を上げました。エスカルゴというのはフランス名物カタツムリ料理の事だそうです。
「カタツムリって食べられるの?」
「気持ち悪いねぇ」
と三姉妹は口々に騒ぎましたが、真空パックに印刷された調理例の写真は決して気味の悪いものでは無く、意外と美味しそうに見えました。
「これ、買ってみようか?」と母が言いました。
「うん!食べてみた~い」と子供たち。
我々はエスカルゴとバゲット、そしてポテトサラダを購入してキャンプ場のキッチンに戻りました。
「ジャジャーン」と言いながら母はエスカルゴの袋を開けて、丸いアルミ製のお皿を取り出しました。
お皿にはエスカルゴの殻がちょうど収まるようなくぼみが丸く並んでおり、その一つ一つに巻貝のようなエスカルゴが入っていました。
殻の入り口には新鮮な刻みパセリがたっぷりまぶしてあるバターが詰められていました。
オードブルのようで、とても綺麗です。
母は爪楊枝を使ってそのバターの固まりを取り出すと、
「はい!アーン」
と、三姉妹の口に順番に放り込みました。
激辛生ニンニクの刺激、冷たいバター、そして得体の知れない、
何やらグニッとしたぬるっとした生臭い物体。。。
そう、母は事もあろうに、調理もしていない生のエスカルゴを私たちの口に放り込んだのです。
うわ~~ん
三人の子供たちは火が付いたように泣き出しました。
近くにいたフランス人のオバちゃんが慌ててビニール袋を持って駆け付け、
「早く!ここにペッしなさい!」
と言いました。
口の中はいくら水でゆすいでも、辛いのも油っこいのも生臭いのも取れませんでした。
オバちゃんは母に蓋つきのフライパンを振り回して見せながら、
「火を通すのよ!火を!見れば分かるでしょ!」
と早口でまくし立てました。
本当に、毎度の事ながら、
母は一体何を考えているのでしょう?
なぜ自分は味見もせずに、得体の知れない物体を子供たちにまず毒見させるのでしょう?
私はずっと、母のこの不可解な性格はJWの歪んだ教えによって形作られて来たものだと思っていましたが、
今回この話を書きながら、
天然だった
という事にやっと気付くことができました。
あまり役に立たない再発見だと言えます。