
先週の日曜日、ひさしぶりに武蔵国分寺跡とその周辺を歩きました。 武蔵国分寺跡に来るのは5~6年ぶりです。 まず、中央線の西国分寺駅で下車。 東へ歩くと、すぐに広々とした道路に出ます。 東山道武蔵路跡(とうさんどうむさしみちあと)です。 東山道武蔵路は古代の道路跡で、7世紀後半に都と地方を結ぶために計画的に造られた道路の一つ。 この場所では、発掘調査によって幅12mの直線的な道路跡がみつかっています。 現在は舗装されていますが、発見された道路側溝跡の位置を黄色く着色して示してあります。 道の両側に細長くある黄色の部分が当時の側溝。 歩いている人と比較すると、古代道路の大きさを実感することができます。

東山道武蔵路跡からいったん西へ行き、武蔵野線を渡って南へ歩くと武蔵国分尼寺の公園なのですが、その公園内にあるのが、この「伝鎌倉街道」。 中世の鎌倉街道のひとつと伝えられており、この道の両側に、中世の塚と寺院跡があります。 寺院跡は伝祥応寺跡とされるもので、現在でも方形にめぐる土塁状の区画が認められます。

この中世の道跡をすすむと、武蔵国分尼寺跡の公園に出ます。 こちらは国分尼寺跡の中心的な建物である金堂跡。 この後ろ側には、金堂跡の基壇版築のはぎ取り標本が展示してあります。

こちらは尼坊跡。 礎石が復元されていますが、途中を道路がぶった切っています。 すぐ西側には遊具のある公園があって、子供たちのにぎやかな声が聞こえてきます。

武蔵野線の高架をくぐって府中街道をわたってしばらく行くと、武蔵国分僧寺跡です。 こちらは金堂跡ですが、現在整備のための発掘調査が行われています。 むこうに見えるフェンスは、発掘現場を囲んでいます。

こちらは塔跡。 武蔵国分寺跡では七重塔が建っていました。 この七重塔は835年(承和2)に焼失し、その後再建されたことが記録に残されていますが、発掘調査によってそれが確かめられています。 また近年、ここから50mほど西側でもうひとつの塔跡が発見されてニュースになりました。 こちらの塔跡は、出土品から9世紀中頃のものと推定され、歴史記録にみられる再建の時期と重なりますが、実際には基礎工事だけで建設は中止されたとみられています。

いったん僧寺金堂跡までもどり、東へ少し歩いて左折すると「おたかの道湧水園」があります。 この園内に、武蔵国分寺跡資料館があります。 2009年にできた新しい資料館で、発掘で出土した遺物などが展示されています。 受付で販売されている『見学ガイド武蔵国分寺のはなし』というブックレットは、分かりやすく内容も充実していて参考になります。

資料館の近くには「真姿の池湧水群」とよばれる場所があり、全国名水百選にも選ばれています。 「真姿の池」は、平安時代の美女にまつわる伝承があります。 写真はその「真姿の池」にあるお社。 この湧水は多摩川の支流のひとつである野川の源流となっています。 ざっと半日ほどで回れる内容ですが、このほかにもルート上には縄文時代の敷石住居の復元展示(武蔵台遺跡)や、国分寺薬師堂など、いろいろと見所があります。