音楽をじっくり聴いていたわけではない。

とても詳しいわけではない。

でも、私の人生でとても長い間好きだった人の訃報を知った。

 

昨日の明け方だった。

いつも通りシムズして画像編集したり記事編集したりしてる時。

Twitterのオススメに表示された記事だった。

 

 

私は3、4歳の頃、たぶんCMで幸宏さんを見ていたと思う。

カッコいい人だなと思って好きになった。

たぶん美的センスが確立される時期というか、異性に対してカッコいいなどと思う時期だったのだろう。

当時私は子供が嫌いで、同年代の子供たちは苦手だった。

12歳以上のお兄さんじゃないと「カッコいい」とは思えなかった。

特に好きだったのが高橋幸宏さん、大槻ケンヂさん、板尾創路さんなどだった。

こう書き連ねると変な子供だと思う。

 

同時期SMAPも好きだったのだけども、幸宏さんやオーケンは、親に言えずにそっと想いを寄せていた。

 

昭和の親はよくあると思うが、自分の価値観を子供に押し付ける。

私の親も例に漏れずそうだった。

この人カッコいい、などと言った日には「おかしい」「なんでこんなおじさんがいいの?」「格好よくないでしょ」「センス悪い」などと言われるのだ。

もちろんSMAPも本気で好きだったが、親の意にそうように好きになったような気もする。

当時10代のSMAPを3歳程度の子供が好きというのはおかしくないが、30過ぎの男性を好きと言うのはおかしい、と学んでいたのだ。

 

しかしそんな風にずっと自分を誤魔化すわけにもいかず、20歳をすぎる頃にはすっかり大人の男性が好きになっていた。

恋愛観については少し違うが、好きになるミュージシャンや俳優はだいたい30、40代以上だった。

 

そして幼少期素直になれなかった分を取り戻すように好きな音楽を漁った。

今と違いサブスクはなかったがネットには好きな音楽を聞く環境があった。

もちろん違法なものも多かったが法整備もまだまだだった。

違法アップロードしなければいいじゃん、くらいの倫理観だった。

なんなら堂々と量販店でYouTubeやニコ動の動画をDLできるソフトが売っていた頃だ。

ネットで聞いて、気に入ったものは買っていた。

 

幸宏さんのことはミュージシャンだと知ってはいたがほとんど聞いたことはなかった。

 

 

たぶんMETAFIVEを見たことがある程度の知識。

ただただカッコいいおじさんだなぁと思い続けてた。

 

ミュージシャンとして触れたのは冨田恵一さんの楽曲で。

 

 

キリンジのファンだった私はもちろん冨田さんのアルバムを買っていたのだが、そこに高橋幸宏さんの楽曲があった。

キリンジは好きだけど別に大貫妙子さんもYMOも通ってない20歳程度の私にも響いたのだ。

そこからYMOやMETAFIVEを聴き込んだ、わけでもないが、好きだった。

 

 

そして当時私はTwitterをはじめて、様々な文化人の方をフォローしていた。

もちろん幸宏さんもフォローさせてもらっていた。

一方的に見るだけでも、幸宏さんの言葉はいつも優しくて柔らかくて。

イメージ通りの方だなと感動した。

 

 

今、幸宏さんのツイートを見返すと泣いてしまう。

ミュージシャンに限らず表現者や制作者、芸術家の方々は、自身がいなくなっても作品は永遠に残る。

でも、やはり、寂しくてたまらない。

もう2度と、幸宏さんの言葉を見ることはないと思うと寂しくて悲しい。

 

 

幸宏さんをライブで見れなかったのはとても悲しい。

細野さんは2度も見ることができたけれど。

フェスで一度拝見できて、ソギーチェリオスのゲストで細野さんが登場して堀込泰行さんと歌ってくれたのは今でもはっきり覚えてる。

泰行さんの居心地の悪そうな顔が懐かしい。

 

 

一度フジロックでYMO復活があったときに真剣に行くか悩んだ。

土日は仕事があるし。

一緒に行く知り合いいないし。

フェス参加したことないし。

色々理由を練っては行かなかった。

今は後悔しかない。

見るべきだった。

後悔しないために。

 

 

この曲は私がTwitterをし始めた頃にリリースされた幸宏さんのアルバム。

そして私が初めて買った幸宏さんのCDである。

優しい歌声で大好きになった。

 

 

きっと10年後には、もっとたくさん私の好きな人たちがいなくなっていると思う。

私の友人や親も、夫でさえわからない。

私は人に死にとても敏感で、いつまでも慣れない。

慣れる必要はないのだけど、折り合いをつけられない。

きっといつまでも、毎回こうして泣き続けるかもしれない。

 

思えば大瀧詠一さんが亡くなった時もボロボロに泣いたし、スーちゃん(元キャンディーズの田中好子さん)が亡くなった時も何日も泣いた。

音楽関連で好きになった人は本当にショックが大きくて立ち直れない。

 

とりあえず今はいつも通りTwitterやブログで皆さまのシムを見たり、娘と遊んだりして平穏を保ってます。

本当に悲しくなってしまうけど、先程も書いたけど、音楽は永遠に残るわけで。

永遠っていうのは私がここにいる限り、という意味で何億年後とかではないよ。

これからもたくさん、幸宏さんの残した音楽を聞こうと思う。

 

最後はYMOのテクノポリス。

これも幸宏さんの曲。

とても好き。

 

 

電気グルーヴが好きで、YMOが大好きな電気グルーヴが好きで。

そこからYMOをちゃんと聞くようになって。

 

キリンジが好きで、キリンジのプロデューサーをしてた冨田恵一さんを好きになって。

そしたら冨田ラボの楽曲に幸宏さんも参加していて。

冨田ラボ/プラシーボ・セシボン

公式にアップされたものじゃないので本当はリンクも貼りたくないんだけどね。

でも、この動画を見て、アルバムを買ったので。

思い出の動画なんだ。

 

本当に好きだった。

ずっと。

子供の頃から、大好きでした。

スタイリッシュでカッコよくて、少しコミカルで。

ゆっくりと休んでください。

ご冥福をお祈りします。