木目のテーブルにグラスについた水滴が落ちる。

クーラーはお世辞にも効いているとは言えない。

「久しぶりだね」

櫛田は氷の溶けきったアイスレモンティーを置いて言った。

「なにか変わった事はあった?」


僕は首を振る。

「特にないね。平和でいいよ」

店内に僕達以外の客は居ない。

「そっか、残念」

悪びれずに彼女はいう。

「ご期待に沿えず申し訳ない」

彼女が微笑む。少しは心配してくれているようだ。

「君の方はどう?」

「うーん」

「何かあった?」

「大した事じゃないんだけど・・・」

彼女の次の言葉を待つ。

彼女はもう一度微笑む。

「まあいいじゃない。今日は君のカウンセリングに来たんだから」

苦笑してしまう。

確かにカウンセリングなんだろう。リハビリも兼ねている。

「僕は何の病気なのかな?櫛田先生」

「軽度のひきこもり、社会性の欠如、コミュニケーション能力の著しい低下、、、あとは活字中毒ってところかな?」

的確だと思う。

「ちょっと前まではあまり本とか読まなかったよね?」

「そうだね。月に一冊読めばいいところだった」

確かに元々は本はあまり読まなかった。

特に嫌いだった訳ではなかったがどちらかと言えば音楽や映画の方が興味があった。

おそらく今僕が求めているのは情報の量だ。

映画や音楽は感性で感じる情報量を含めれば膨大な量ではあるが

台本や歌詞の量は極めて少ない。

何故そんなに文字情報を求めているのだろうか?


漠然としているがやはり僕は文字情報に埋もれる警告(あるいはシグナル)を探しているのかも知れない。

彼女の意図は結局僕を捕まえて、まだ離してくれていないのではないだろうか?

そして僕は彼女を求めているのかもしてない。


食い殺されるカマキリの雄。

ただ僕はそうふと思ってしまった。

長く続く坂道を上りきると青い空が広大に広がる。

突き刺す様な陽光が瞳に刺さった。

休日に外に出るのは久しぶりだ。

どうもしっくりとこない。

体が浮いている様な気がする。

風は無く湿度が高い。

坂の途中の公園では町内会だろうか、年配の人達と中学生くらいの子供達が集まっている。

水飲み場ではさらに小さい子供達が遊んでいる。

何か夢のなかにいるような感覚でそれを眺めていた。

汗がうっすらと滲んでくる。

アスファルトは熱く焦げ靴底を焼いている。


時計を見ると約束の時間まであと45分程ある。

公園の芝生にはいり、寝転んでみる。

待ち合わせ場所はここから5分程の場所の喫茶店だ。

まだ時間はある。しばらく眠っていこう。

目を閉じると瞼の裏で雲の流れを感じる。

時間の流れを緩やかに感じ取る。

悪い事はもう起きない。

そんな気がした。
重たい空。

湿った空気、噎せ返る様な土の匂い。

緑は深く、生命の息吹を撒き散らす。

風が吹き始めた、虫達が騒ぎだす。


早く戻らないと濡れてしまうな。

英莉はジョギングのペースを上げる。

いつもの慣れたコースを少し手前のポイントで折り返す。

人通りは少ない。テレビではまだ遠い南にある季節外れの梅雨台風の警戒を呼びかけていたし、

六月にしてはかなり肌寒いので当然と言えば当然だ。

中止にしても良かったのだが、習慣はそんなに簡単に変えられるものではない。

iTunes storeでスマッシングパンプキンズの新譜を見つけたのも大きかった。

新譜を聴きながら走ることより気分のいい事が世の中にあるだろうか?


懐かしいビリーコーガンの繊細で陰鬱な声がイヤフォンから溢れてくる。

メロンコリー、そして終わりの無い悲しみ。

2012年になろうともいまだ彼の憂鬱も悲しみはまだ終わっていないのだろうと思う。


水滴が顔をかすめる。降り出して来たな。

フードをかぶる。

彼女は少しだけ目を瞑ってみる。

なにかを確認するかのように。


まだ私は何処にでも行ける。

何にも縛られていない。

そう確認し目を開ける。

ペースをさらに上げる。

息があがってくる。

私は何も恐れていないし、待ってもいない。

何処にでも行けるしなんにでもなれる。

終わりなんて訪れない。


太陽はすっかりと隠れしばらくするとそのまま遠い山に落ちた。

夜が訪れる。

でもそれは終わりではない。