krikindiesのブログ

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主に法政大学生によるブログ 

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これが現実なんだろうなということをひしひしと感じます。
彼の「自己責任論」はまさに同意である。さらにホームレスだって「助け合う」という現実。人は一人で生きていくことができない。

ホームレスはもともとホームがあった。彼らはある時点でそれを失った。

彼らが住めるような場所を提供することはできないのだろうか。

いやできるはずである。いろんなデザインが彼らの生活を変えることができると私は思う。

http://matacoco.com/archives/66539055.html

少なくとも数は減らすことができる筈だ。
引用


私たちの社会の喫緊の問題は「それを利用できるだけの社会的能力を欠き、市民的成熟に達していない人々」をどう癒し、支援し、成熟に導くかということなのである。

http://blog.tatsuru.com/2011/01/04_1147.php

以上のようにおっしゃっている。

これを読んだ瞬間、市民的成熟??????というあまりに上から目線である。そして、世界中のどこに市民的成

熟した人がいらっしゃるのか。

まるで、内田樹教授は”市民的成熟”に達っしているかのような口ぶりである。

おそらく本人は”市民的成熟”されているのかもしれない。

しかし、そんな人々は世界のどこにいったって、一部の超”エリート”のような、強者にしか達成できないのが、現

実の社会なのではないか。




この現実味のない理想主義には飽き飽きしてしまう。


引用

コレクティブハウスの問題点は、今提案されているモデルでは「すでに他者と共生する十分な市民的成熟に達したメンバー」以外はこの共同体には参加できないということである。
老齢であろうと、身体に障害があろうと、貧乏であろうと、成熟した大人であれば、そこにしかるべき地位を見い出すことができる。
けれども、市民的に未成熟な人には、このようなヴォランタリーな共同体は扉を閉ざしている。
そうである限り、これは一種の「強者連合」たらざるを得ない。
だが、私たちの社会の成員の過半は「市民的に未成熟な弱者」である。
彼らを排除した「リッチで、スマートで、クレバーな市民たちだけのコミュニティ」で暮らすことはずいぶん快適であろう。
けれども、そこには弱者を支援し、癒し、成熟に導くための装置がビルトインされていない。
私は共同体は「弱者ベース」で制度設計されるべきだと思っている。
癒し、支援し、教育する。
その三つの要素が整っていなければ持続的な共同体たり得ない。
私はそう思っている。

http://blog.tatsuru.com/2011/01/04_1147.php


と述べられている。

私はそんな特別な人々が元来住んでいるようには思えない。

ただ、寂しく不満を伝えられる相手、それさえが存在すれば、この場所はメンタルケアもかねる、つながりの場

所になるのに。


私も正直に言うと、イギリスには市民がいると思って留学をした。

しかし現実は全く異なっており、日本人より、ただダイレクトに自らの欲求を表す人々なだけであった。

それを市民的成熟とは決して呼ばないであろう。

そんな高級な呼び方をコレクティブハウスや、フラットシェアハウスに対して呼ぶことは、見当違いであるとはっ

きり言っておきたい。

この筆者のあまりにも高級な思想に私は飽き飽きしてしまった。




空気人形





kodai好きなんじゃないかな??

個人的にはこの作品かなり好きだけど。

この監督まだ全然チェックしてなかったけど、自分の中での大ヒットの予感。

「映画から命は自分自身では完結できないように作られているらしい。

花もめしべとおしべがそろっているだけでは不十分で、虫や風が訪れて、めしべとおしべを仲立ちする。

命はその中に欠如を抱き、それを他者から満たしてもらうのだ。

世界はたぶん、他者の総和。

しかし互いに欠如を満たすなどとは、知りもせず、知らせされもせず。

ばらまかれている者同士、無関心でいられる間柄。

時に疎ましく思うことさえも、許されている間柄。

そのように世界がゆるやかに構成されているのはなぜ?」 

by『空気人形』 監督 是枝裕和

我々が直面している社会なのだ。

この現象は我々が望んだ高度の「発達」した社会が生んだものなのだ。

だからこそ状況は深刻である。

このブログはよくまとめてある。
http://www.tachibana-akira.com/2011/01/2034

参考までに。

しかし、建設的な議論までいたっていないため学生のノートのようだが。
IDは
kodai99

でした。
こうだいです。

アメブロに個人のブログ開設したので、これからはそちらで。
あなたは素晴らしい。


それはあなたが、賢いからではなく、綺麗だからではなく、仕事ができるからではなく、想いやりがあるからではなく、みんなから愛されているからでもなく、


あなたはあなたとしてただ在るだけで素晴らしい。


だからもしあなたが、馬鹿で、不細工で、仕事もできなくて、人に迷惑をかけてばかりで、誰からも愛されていなかったとしても、

それでも何も変わらない


あなたは素晴らしい。
幸せのイスの数は限られているのかな。

みんなが社会の中で色々な役を演じて、色々な立場で、色々な評価を受けて、色々な存在価値の採点を受けている。

もし、私がたくさんの人を殺したら、私には存在する価値がないと判断され、処刑される。

もし、私がたくさんの人を癒し、貧しい人々を助けたら、私には存在する価値があるとみなされ、理想の人間として崇められる。

この違いは何?

この二分法はたくさんある。金持ちと貧乏、頭のいい人と悪い人、学歴のある人と無い人、一流企業で働いている人と無職の人、恋人がいる人といない人、持つ者と持たざる者。

この違いは何?

運良く持つ者のイスに座ることのできた人は褒められて、持たざる者の役割が与えられた人はけなされ、馬鹿にされる。

この違いは何?




ありのままじゃだめなのかな。

お金がなくても、仕事がなくても、なんの役に立たなくても、人から感謝されなくても、誰からも愛されなくても、私たちは、ありのままの私たちで、十分価値があるんじゃないかな、って思うんだ。

もしそうやって考えられなくても、せめて他の人の痛みに気付いてあげよう、一緒に感じてあげよう。


本当に不幸になりたい人なんてどこにもいないんだよ。じゃあ、みんなで幸せになろうよ。


奪い合う世界から、みんなが与えあう世界。そうなりつつあることを、確かに感じています。