笑顔、時々、涙 -2ページ目

笑顔、時々、涙

結婚7年目で授かった念願の息子は、腰部脊髄髄膜瘤・二分脊椎・キアリ奇形Ⅱ型・水頭症をもって生まれてきました。
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今一度、アメンバー申請につきましてよろしくお願いいたしますm(__)m
息子3歳。
夫は主夫に、私は看護師に復帰して1年。
病棟勤務で三交代勤務をするなか、夫は本当にサポートしてくれた。
息子も生活パターンが確立して、寝起きする時間もしっかり定まった。
無呼吸発作は出なくなり、痰の吸引も落ち着いてきた。
夫と二人で療育やリハビリに通えるようにもなった。

夫はすごい人だ。
確かに息子の成長もあったけれど、夫だったからここまで成長できたんだって思う。

起きて→いきて
お腹すいた→ポンポン、たぁー
ただいま→おかえりー...おかいまー!
いただきます→たーす
お湯ぶくぶく→くぷくぷ
シャボン玉→しゃぼんばな

などなど、3歳でも言葉の成長はゆっくりな息子。
そのくせして、「マーマ!聞いてるの?!」「(本を)みてるだからー!」と生意気な口になると、流暢に喋り出すからミラクル。
気切していてここまで話せれば天才的!
なにより、息子の声が聞けることが嬉しかった。
そして、息子も声を出して会話で意思表示出来るようになってからすごく成長したように感じる。
私たちには、拙い息子の喋り方が愛しかったし、日常だった。




仕事が休みだったある日。
息子と二人で自宅からすぐのショッピングモールに買い物に行った。
お店のチャイルドカートに息子をのせて店内に入ってすぐ、知り合いとその子供たちに会った。
久しぶりだねーなんて話をして。
そしたら5歳の娘ちゃんが「なんで赤ちゃんじゃないのに(カートに)乗ってるの?歩けばいいじゃーん!」と。
ごもっとも。

「生まれたときから病気があって、歩けないんだー。足が動かない病気なの。」

そう伝えると「そうなんだー」とあっさりと納得してくれる。
少し話して別れるときに、普段人見知りの息子が大きな声で「ばいばーい!」と言った。
私にしたら、自分から挨拶できるなんて凄いじゃん!なんだけど。





「しゃべりかた、へんなのー!声、おかしいね!」





って、娘ちゃんに言われちゃった。

その時、胸がギューっと苦しくなって説明することもなく場をあとにした。


わかってる。
悪気がないことも、子供だから素直に言っただけってことも。



言われたことにショックを受けたんじゃない。
おかしいと思われたことにショックをうけたんじゃない。

あぁ、とうとうこういう時期に突入したかーって現実見えた。

赤ちゃんの頃なら、フナフナ話してても、歩かないでバギーに乗ってても何の違和感もなくて。

でも3才になって、歩かずにカートやバギーに乗っていること。
会話もできず、つたない発音でしか話せないこと。

いろんな事が回りには不自然に見えてくるんだなぁーって。
そして、それに息子が悩む日がくるんだなぁーって。
人見知りの息子が勇気を出して言った「ばいばい」。
それを「変なの」と言われ理解できちゃったら、息子はどれだけ悲しい思いをするだろう。
勇気を出して外に向いても、傷つくだけだと知り内に籠ってしまうんじゃないだろうか。

たった1つの出来事で、息子のこれからが急激に心配になり胸が苦しくなる。

息子が産まれてきてくれた日に心の奥底に刻まれた思い。

何で健康に生んであげられなかったんだろう。

一気に頭に浮かんじゃって。
進学のこと。
思春期になるにつれて、いじめられるんじゃないかって。
自分の体のことを、私たちのことを恨めしく思うんじゃないかって。

でもやっぱり可愛くて愛しくて。
もう、どうしようもないくらい愛しくて。
息子の声が嬉しくて。

幸せなことに、息子のことをしっかり理解してくれる友達や同期、同僚が沢山いる。
そして、その子供達が何隔たりなく接してくれる。
近所の人も障害があると知ってくれている。
いろんな場面でお世話になる社会の人たちも理解して可愛がってくれる。
息子のことを恥じたことなんてただの一度もない。
むしろ何にも変えられない宝物で誇り。
私たちを親にしてくれた愛され屋さんの息子は誇り。


何だか考えちゃったなぁ。
これから先、私たち以上に息子本人が悩んだり苦しい思いをする日がくるんだなぁって。

我が子には幸せになってほしい。

ただ当たり前に願うだけ。





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私の家は母子家庭で、決して裕福ではなかった。
母は朝から夕方まで働いて、そして夕方から夜まで別の仕事に行って。

今ならそれがどんなに大変なことか見に染みてわかる。
疲れて帰ってきて、ハァーと大きくため息をついて倒れこみたいよ、私なら。
だけど兄と私の夕飯を作って、「行かないでー!」と泣いて後を追う私をなだめてまた仕事に向かう。
体も心も辛かっただろうに。
だけどいつも明るい母。
子供に貧しい思いをさせまいと一生懸命働いてくれた。
たまに旅行にもつれていってくれた。
デパートにも、遊園地にも、動物園にも。

そんな母が一生懸命働いて、私を看護学校に行かせてくれた。
夢だった看護師。
辛くて大変だけど、やっぱりそれ以上にこの仕事が好きだった。
色んな患者さんがいたなー。
沢山、叱られたなー。
自分が嫌な思いをしたような指導の仕方はは絶対にしないと決めて、後輩の指導も沢山したなー。
患者さんと一緒に沢山泣いて、喜んで、悩んで。
休んでからもなお、会いたいと言ってくれる患者さん。
また一緒に働きたいと遊びにきてくれる先輩、同期、後輩。
本当にやり甲斐のある仕事。
そんな風に考えると、余計に仕事への未練も強くなって。

息子はこれまでの経過からは信じられないくらい成長してくれた。
無呼吸発作も出なくなった。
風邪もほとんどひかなくなった。
スピーチカニューレではないのに、とても上手に大きな声をだすようになった。
まだ言葉のレパートリーは少ないし、発音もヘタッピだけど、言葉でのコミュニケーションがとれるようになった。
ハイハイで家の中も自由に動き回るようになった。
成長著しい大切な時期だからこそ、息子第一に考えなきゃ。
仕事は辞めよう。


そんなとき夫が言ってくれた言葉。
「ママ、仕事続けたいんでしょ?じゃぁ、看護師続けなよ。」

突然の言葉に驚き返す言葉もないでいると、さらに夫が続ける。
「俺も男だからさ、やっぱり家族を自分の手で養いたいって思いはあるよ。」
「だけど何となく就職した仕事でさ、ママみたいに小さい頃から夢だった訳でもない。」
「ママみたいに仕事に対する目標とか、信念とか。俺には、そんな立派なものないから。」
「ましてや、お義母さんが女手一つで苦労して看護学校に行かせてくれたのに。」
「だから、ママがどうしても看護師から離れることに諦めがつかないなら続けなよ。」
「家と宗ちゃんことは、パパがしっかりやるから。ママが嫌じゃなかったら看護師続けなよ。」


夫に「看護師を辞めたくない」なんて話したことはなかったのに。
会話の中で無意識に出てたのかな。

夫は一人で考えてくれてたんだ。
自分のプライドよりも、私の思いを大切に考えて。
昔からそう。
結婚する前から。
自分よりも人に優しい。
そして時に厳しい。
「真面目で誠実」って言葉は、夫のためにあると思ってた。
回りの人達に、一度たりとも夫を悪く言われたことはなくて。
むしろ「珍しいくらいいい人だよね」って言われるくらい。


それから夫婦でよく話をした。
そして夫は「主夫」に、私は看護師として復職することに決めた。
看護部長も事務も、上司も同僚もみんな喜んでくれた。
そして「旦那さんすごすぎるわ」と。


元々、家事全般OKな夫。
貯金が趣味で、タバコもお酒もしない。
パチンコもしない。
車も興味はなくて「乗れればいいよー」って人。
息子が生まれる前から、友達と飲みに行くのは年に2~3回で遅くても1時までには帰宅する。
唯一の楽しみは、週刊ジャンプとレンタルDVD。
休みの日には家族サービスをするのが好きな夫。
息子の世話も率先してやってくれるし、カニューレ交換も何のその。

夫に家と息子を任せるのに不安は全くなかった。
不安なのは息子が適応してくれるかどうか。

私は家で身を潜めて、夫と息子が二人になる機会を増やすことから練習を開始。
これで息子がどうしても無理そうなら、すっぱり諦めよう。


新しい家族のかたちにむかって歩き始めた。


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