著名人があちこちでチャリティーイベントやって、義援金集めをしてますね。


それは多いに結構なこと。
自分の持っているタラント(賜物・才能)である知名度を用いています。


しかし、著名人のチャリティーを見てて思ったのですが、



人間って、「著名人」という付加価値がないと募金にあまり参加しないのでしょうか。



やっぱ人間、自分がかわいいんだね。

買い占めに代表されるように、まず自分のためにお金や時間を使って、
他人は二の次くらいですか?


口では「お見舞い申し上げます」とか言ってるけど、だったら実際的な行動しろよって思う。





…わたくしめですか?

自分はお金はありませんが、体と時間はあるので、宮城でボランティアをしてきましたよ。



個々人によって持っているもの(お金、時間、職能)が違うのは当たり前です。
でないと世界はまわりません。

各々が自分の持っているものを、よく他人のために使っていける社会になることを願います。
初記事です。

そしていきなり哲学的です。


最近思うこと…「日本人」ってナニ?

自分はチャペルに通っているのですが、うちのチャペルは留学生が多いんです。
韓国と中国の方がほとんどですが、見た目が変わらず(モンゴロイドですから)、しかもみんな日本語が上手です。


そんな環境にいると、「日本人」とか「外人」とかの定義(というか境界)がないように思います。

以下、項目別に考察

・見た目
確かに、地域によって肌の色が違いますが、国内でも色黒の人や東北美人(今大変ですが)がいますよね。

・言語
グローバル化で、多国語を自在に使える人が割といます。

・遺伝子
全世界に同じ人がいないように、遺伝子も十人十色、60億人60色です。



うん、結論としては、人類みな地球人!
境界なんて、人間が勝手に決めたこと。

だから、民族紛争なんて!




…どうも作文は苦手です。