「自然とは何か?」と人々に聞いてみると、まず次のような答えが返ってくるであろう。「自然とは人の手を加えない、ありのままの状態」と。果たしてこの見解は正しいのだろうか。少なくとも私はこの意見には賛同しない。

そもそも「自然」の定義は非常に難しい。大多数の人間は、鉄筋コンクリートで形成されたオフィスビルを「自然」とは呼ばないだろう。しかし、彼らは森林で野生のリスが作った巣を「自然」と呼ぶに違いない。人間が作った建築物と、リスが作った巣という名の建築物にどのような差異があるのだろうか。人間もリスも動物なのだから、人間の住宅やビルはリスの巣と何ら変わらない。


それでは何が「自然」で何が「自然」ではないのだろうか。ここで国語辞書を使い「自然」を引くと次のように出る。

 1) 人の手を加えない、物のありのままの状態。

2) この世のあらゆるものの総称。

 イ)人間の社会から離れた立場で考えた(ありのままの)天地万物。

 ロ)人間を含めて因果的必然の世界。物体界。

 (岩波 国語辞書より)

 

 つまり「自然」は個々の捉え方によって意味が大きく変わってくるのである。最初に述べた「自然とは人の手を加えない、ありのままの状態」という一般的な見解が、間違ってはいない事が分かる。しかし完全な正解でもないようだ。


 私の捉える「自然」は、「人間を含めたこの世のあらゆるもの」である。人間を含めずに「自然」を考える人間は、傲慢ではないだろうか。人間は自然界の中に置かれている存在の一つにすぎない。他の生物がいるからこそ、人間は生存する事が出来るのである。万物の霊長などと馬鹿げた事を言わずに謙虚になるべきである。


 以上のように、「自然」とは個々人によって大きく意味が変わってくる。固定概念を鵜吞みにせず、自分なりの「自然」を考えていくべきではないだろうか。











政治の事をよく分かっていないVictorからすると、政治ってお芝居みたいと思ったりします。


例えばAさんが総理大臣になると、国民は「どんな事をしてくれるんだろう」と期待します。

そして国民が喜んでくれる事をしてくれていると思います。高速道路無料化とかね。

しかし政府の中で不祥事が起こると「やっぱりA政権は駄目か」なんて叩かれ始めます。

一度叩かれるともう終わり。何をしても叩かれている気がします。小中学生のいじめに近い印象を受けます。
こうして支持率はどんどん下がっていき、バッシングに耐えられなくなったA総理大臣は辞任をするわけですね。


そしてB政権が誕生します。

その内また不祥事が起こり、A総理大臣と同じように叩かれ始めます。

挙げ句の果てに「ここまで酷いとA総理の方が良かったな」なんて言う人が出てきます。

懐古厨とはよく言ったもの。
昔の思い出が美化されるのは当然だと思うのです。

B政権もじきに崩壊し、次はC政権の誕生……無限ループです。支持率は上がる事はなく、下がり続けます。最後まで支持率がそれなりだったのは小泉総理大臣くらいなのでは?


何が言いたいかと言うと、政治はお芝居みたいなものだし、総理大臣がどれだけ頑張っても不祥事が起きないようにしたり、国民全員が喜ぶ政治なんて出来やしないのだから、もっと気楽な政治をして欲しいです。

出る杭は打たれます。総理大臣が叩かれるのは必然です。
なら総理大臣は「国民のために……」とか大層な事を思わずに、「どれだけ叩かれても、これはお芝居なんだから、それなりに頑張ろう」くらいで良いと思います。(もちろんそれを公の場で言うと終わりです)。
少なくともVictorの周りの人間は過去の総理大臣を叩いたりしていませんし(そもそも話題にもなりません)、あまりにも本気で政治を行うと、精神がやられて辞任後に響いてしまいます。

というより好き放題に叩いている方は、「これはこうした方が良い」という代替案を持っていたり、「私は総理大臣よりも立派な思想を持っている」と豪語出来る出来る御方なのでしょうか。
「日本政府を批判している俺格好良い」にしか見えません。


鳩山様が辞任なされ、次は菅政権の誕生ですね。
テレビをかれこれ4年以上見ていないので、おそらく菅総理大臣の活躍はあまり見られないでしょうが、無理せず頑張って欲しいと思っています。


政治を何も分かっていないので、おかしな所がたくさんあると思います。
「どうしてもこれだけは言っておきたい!」という事がございましたら連絡を下さい。
Victorの大学では、学科対抗でディベート大会が行われます。
そしてVictorの班の論題は、「小中学校内への携帯電話の持ち込みを認めるべきである。是か非か」です。

この論題は非常に難しいです。
なぜなら「“携帯電話を持つ事”が認められるかどうか」ではなく、「“学校内に携帯電話を持ち込む事”が認められるかどうか」だからです。

つまり肯定側がメリットとして「電子機器の取り扱い能力の向上」を提示したり、否定側がデメリットとして「有害サイトによる悪影響」を訴えても、無効となります。
上記のメリット・デメリットは家でも起こるので、反駁されると不利になると予想出来ます。

一番の問題点はメリットが薄い事。この論題だと、どうしても否定側の方が有利です。
自分のチームが肯定側になるか否定側になるかはディベート本番まで分からないので、肯定側になると敗北する可能性が上がってしまいます。出来レースとはこの事でしょうか。


それでもVictorは自分なりのメリット・デメリットを考えます。
大がかりなディベートをするのですから、精一杯やりきりたいと思います。


メリットの1つ目は、
「小中学生の安全性の向上」
これに尽きます。
携帯電話を持ち込み可能にするという事は、登下校時にも持っているのですから、GPSを利用すれば子供の居場所を簡単に確認でき、メールによって親子間の連絡を円滑に行えるわけです。

予想される反駁としては、
「今まで犯罪にあった被害者は、携帯を持っていなかったのか」
「GPSは電源を切られたり、強奪されたら無力ではないか」
などでしょうか。


メリットの2つ目は、
「マナーが身につく」です。
幼少時の内から、
「学校ではマナーモードにするか電源を切る」や
「授業中は携帯を触らない」
などと教える事で、マナーが身につくという事です。

予想される反駁としては、
「本当にマナーが身につくのか」
「別に持ち込みを認めなくても、指導すれば身につけられるのではないか」
などですかね。


デメリットの1つ目は、
「授業態度の悪化」。
携帯電話を持てば、好奇心に勝てずに授業中にアプリをしたり、こそこそとメールをしてしまうに違いありません。

予想される反駁としては、
「携帯がなくても授業態度が悪い人は悪い」
「持ち込み可能にする代わりに、授業中は先生に携帯を預ける事を義務付ければ良いのではないか」
などですかね。


デメリットの2つ目は、
「携帯電話の保持者と非保持者間のいじめの発生」です。
特に低学年の子供は自分と異なる人間に対し、いじめを行いがちです。
いじめが発生しなかったとしても、人間の心理的には持っていないだけで劣等感を抱く人もいるでしょう。

予想される反駁としては、
「主観的な内容を大きく含んでいる」
「プラン導入後、子供たちに携帯電話のマナーを教える中で、持っていない人をいじめないように指導すれば良い」
などですかね。


どんなメリット・デメリットにも反駁は付き物です。
相手の反駁をいかに無効化し、自分の立論が崩されないようにするかが大切ですね。