どこかに行かなければならず、
家を出る前の部屋にある時計の絵。

これが一番古くて初めての記憶だ。


当時すべての空間はつながっていて、宇宙の意図はわからずとも、目の前にあることに全てが1つの意思を持った結果であることを受け入れていた。
そんな子供だった。

当時、意思伝達ができれば良かったのだろうが、当時の大人は、何をわけのわからないことを言ってるの?と子供を一蹴する時代(今でもそういう人が少なくない)だったし…とか思うが3〜4歳だったし、普通に考えてもうまく意思伝達できる幼い子は少ないとも思える。

まあいい、
とにかく一般的に言って一番研ぎ澄まされた感覚を持ってた時期にその能力を広げづらいのは残念に思う。

一番の能力がうまく発揮できない__
おそらく、人から否定されるとか、受け入れられないと脅されることが起因となってる場合も多いと思うが、せっかくの能力が結果を作り出せない…

そんなことにも意味があるんだと思う。

自分の能力を疑う事は、自分のこだわる性格を手放す一方で、生活や人間関係を豊かにするバランスのとれた大人になるきっかけになるんだと思う。

でも最後には取り戻せばいい。

自分が何者であるのか、療養中のゆっくりとした長い時間の中で向き合っていきたいと思う。