公式サイトのどこかで見た通り、
素材ドロップ率が微妙にアップした模様。
Bランク装備で希少種狩りをしても黒字が出ますね。
青紫ヘイトで基地の外(outside of the baseと言った方が正しい英語か?)にいた日々は去り、
今は基地の内でぬくぬくと美味しいものでも食べながら、
クリスマスを迎えることを考えてます。
(基地の内 → 陣中 → 幕の内 → お弁当かぃ!!)
急に国家主義者になったり、個人主義者に戻ったり、
伸吉も、いい加減なもんですなぁ~
経験値はようやく1億5千万を超え、
Lv68まで@5%ほどに迫りました。思えば遠くへ来たもんだ。
1億5千万・・・見覚えのある数字だなーと思ったら、
天文単位でした。(日本の人口は1億5千万より少ないよ;)
天文単位とは・・・地球と太陽の平均距離。約1億5千万km。
なぜ”平均”距離って言うの?と思った貴方、鋭いです!
地球が太陽を回る軌道って、キレイな円じゃないんですねー。
だ円軌道なんです。
この観測事実はケプラーによって発見されました。
(子供の頃見た天才バカボンの再放送ではバカボンの弟で天才児のハジメちゃんがケプラーの法則をスラスラ言ってました)
ケプラーは科学史上、ニュートンの大先輩にあたる人で、
万有引力の法則発見の基礎を与えた人です。
(ちなみにAIKAでは鍛冶職人やってます。)
で、ケプラーのさらに師匠はティコ・ブラーエという占星術職人なんですね。
星の正確な位置を記録しないと、正確な占いが出来ない頑固一徹の信念。
おそらく、いい加減な星占い本なんか見せようものなら、ちゃぶ台ひっくり返されたことでしょう。
ティコの名は月の地名(大きなクレーター)にも列せられてます。
ケプラーが師匠の観測データに法則性(コペルニクス~ガリレオの地動説を前提に)を探していたところ、
どうしても円軌道ではつじつまが合わない。
でも、ティコの観測に狂いがあるはずなんかない。
・・・そこで長い間うんうん唸って考えて出てきた結論が、
そうだ!だ円軌道なら全てつじつまが合う!
(↑ノーベル賞物理学者、朝永振一郎先生の一般向け科学史本に出てるエピソード。岩波新書だったか。朝永先生は文才も一流で、一般人に面白く分かりやすく解説してくれてます。岩波新書の科学本では、遠山啓先生の数学書「無限と連続」も人間的興味を誘う内容が良く、面白かった。)
さらに、太陽は地球のだ円軌道の中心にあるわけじゃなくて、
微妙に寄ってます。
極端に偏ると、彗星の軌道みたいに太陽系の外から来て太陽衝突スレスレでターンするわけですが。
近日点が1月2日、遠日点がその約半年後だったように記憶してます。
ちなみに地球と月の距離は約30万km前後で、(これも幅がある)
つまり、私たちは月の表面を反射した約1秒後の光を見てるわけです。
(光速は約30万km/秒)
話題は1億5千万から科学話に飛んだきり、戻りません・・・w
えぇと・・・何が言いたかったかというと、
キレイな円軌道の中心に太陽があったとしたら、
神様が計画的に作った感じを受けますが、
そうなってない。
しかも中心がズレてるなんて!?
この意味は?
早い段階で太陽が地球を巻き込んだのは間違いないでしょう。
(太陽系草創期、地球が形成される前の小惑星のガラクタだった頃から既に)
世の中、計画よりもむしろ、成り行きで成り立ってるということです。
(会社でも、実力者の気まぐれなツルの一声で変わることがままあるしwww)
計画経済のソビエト連邦が滅亡したのは、
19世紀末の科学界で、
「人間知が進歩すれば、いずれ全てが予測可能になる」
との風潮があった(キーワードは、『ラプラスの悪魔』)ことと関係ありそうです。
→ 弾道計算で微分数学が的中しまくりだったのが象徴で、酔いしれてた面がある。
→ 余談ながら、相場予想ソフトは最終的に的中率50%を超えられず、もし成功するとすれば的中しなかった場合の処理規定が明確かつ運用が厳格な上、売買手数料が超低廉だった場合に限られる。相場予想の困難を知る人は自分で売買せず、インチキな的中ソフトや情報商材を売って儲けようとする・・・最近、すっかり宣伝消えましたね。
ところが、
20世紀初頭には量子論が産声をあげ、
運命論・決定論は葬り去られました。
不確定性、不確実性の時代に変わったのが、20世紀。
政治だけ、19世紀理念のまま変わらなかったソビエト連邦は、結局崩壊。
アインシュタインの挑戦を受けた当時の量子論の親分、
”偉大なるデンマーク人”ニールス・ボーアは論戦に勝利した、というのが現代の通説。
アインシュタインの有名な言葉、
「神がサイコロ振るはずがない」
でも観測結果はまるでサイコロ振ったのと同じ。
本質的な謎は、この宇宙の成り立ち方によって時間が一方向に流れていること、生命体が認識する時間、人間の認識の癖、、、その辺りまで深まっていくようです。
一方ほぼ片付いているのが、シュレーディンガーの猫。
あの問いかけは問題の立て方がケシカラン、とするのが現代の有力な答え。
量子レベルのミクロ世界で起きている不確定性をそのままマクロな現象に転換なんてできない、
マクロな現象に置き換えた途端、もう確定してるじゃん、何言ってるの?って言われる。
(一休さんの虎の屏風の頓知風に言えば、
「その不確定性とやらを、ここに置いて見せて下さいな!」
でも実際、見せれるものは生きてる猫か、猫の死体か。
それって、確定してねぇ?ってなるwww)
猫が死んでると同時に生きている、これいかに?!って禅問答。
でも禅僧ならきっと、
「拙僧も、生きとると同時に死んでおるよ。当たり前だ。」
って平然と答えそうですよwww
(その心は・・・哲学的にも医学的にも色々言えそうです。禅コントという新ジャンルを作っても、よしwww)