2008年もあと残り1時間を切った頃、受験勉強の息抜きに降りてきた茶の間のテレビに映っていたのは、日比谷公園に集まる無数の職を失った人々だった。
その多くは中年の男で、皆お世辞にも綺麗だとは言えない身なりをしていた。炊き出しの列には比較的若い者の姿もあり、芦屋涼介は思わず自分の目を疑った。
年越し派遣村、そう銘打たれたこのコロニーに集った者たちは皆職を失い、年を越せるか否かの瀬戸際に立たされ、寒空の下身を寄せ合っているのだ。
涼介には頭の中ではわかっているつもりでも、それがこの国で起こっていることであると理解するには余りにも非現実的に思えた。
「勉強せぇへんと遊んでばっかりおったやつらは、戦争終わって60年経ってもあんな風に配給の列に並ばんとあかんくなるんや。」
洗濯物を畳みながら祖母のトキエがしわがれた声でふと呟いた。
「はいはい、勉強せんとみっともない大人になる言う話やろ?耳にタコやでばぁちゃん。」
5歳の時に母親を癌で亡くした涼介にとって母親代わりだったトキエのいつもの口癖だった。小学生の頃にテストで悪い点を取ると、決まってお説教のイントロで聞いたフレーズは今でも健在だ。
「はい、は1回でよろしい。ほんま何べん言わすんやあんたは。そんなんで大学受かるんかいな、えぇ?」
「まぁなるようになるって。保険かてかけとるしな。」
「あほ!何が保険や!軍隊にお前やるためにゼニ積んで学校いかしたんちゃうんやで!」
「軍隊て、どんだけ時代錯誤やねん。防衛大学やで防衛大学。だいたい高校は特待生なったからほぼタダみたいなもんやろ?」
「何言うか!定期代かて制服代かてかかってるんやで!」
「それは必要経費やん!まぁ防大かて一次試験受かっただけやし、二次かてまだ受かったかわからんやん?浪人だけはならんようにするから大丈夫やって。」
そういってトキエをなだめながら、ぼんやりと〝軍隊〟にいくことになったときのことを考えた。
高級住宅街と同じ名字でありながらも、芦屋家の経済事情はその真逆だった。
トキエと涼介の父が2人で経営する床屋の収入では贅沢をしなければ生活には困らなくとも、機材や自宅兼店舗のローンの返済もまだ残っていて、大学の進学、それも理系となると選択肢は自ずと国公立大学、それも自宅から通えるのが絶対条件だった。特待生度や奨学金の利用を考えても、状況は厳しく浪人させてくれなどと言えるわけもなかった。
最悪の事態を想定して、可能性を少しでも広げるために受験したのが防衛大学校だった。学費に加えて衣食住もタダな上に、給料もでて学位ももらえて卒業すれば自衛隊の幹部になれる。そう高校の担任に言われて、目を輝かせたのもつかの間、訓練はしなければならいし全寮制で土日以外は学校の外に出られず、しかも1年生は詰襟制服でしか外出できないなど、パンフレットに書いてあったのは現代っ子でなくとも許容しがたい条件のオンパレードだった。
何より、家族と離れて見知らぬ土地で暮らすなど涼介には考えられなかった。
年明けのセンター試験は絶対に失敗できない。負ければ自衛隊、勝てばバラ色のキャンパスライフ、これは自分に課した賭けである。
「気張りすぎんなや、お前緊張しぃやさかいな。」
そう言いながらコタツで寝そべっていた父の裕司はチャンネルをタレントが馬鹿騒ぎしている番組に変えた。
「アホ!こんなん観たらアホが感染るんやアホ!」
「アホアホ何回言うねんオカン。大体どこの局つけたかてこんなもんやで。紅白かて最近の歌手はわからんし、年末くらい頭空っぽで観れるテレビがええやろ。」
「アホ!いつも頭空っぽが何を言うか!そんなんやからお前は町の床屋止まりやねん!」
そういってトキエはリモコンを裕司から取り上げてニュースにチャンネルを変えた。
「えぇか、涼介はなお前と違ぅて帝大出て偉ぅなるんや!」
「帝大て戦前か。」
気がつくと西暦は2009年になっていた。