いつのまにか季節はめぐりますね。
アトミックも2013年に結成して早3年経ちました。
アメリカツアーに行けなかったことについて。
クラウドファンディングで40人以上の人に出資をしていただいて72万円分の航空券を買いました。
それ以外に現地での滞在費や会場の機材費などもかかる予定だったので売上で賄おうと、物販を増産して2nd demoと1st mini albumを各300枚ずつ、Tシャツを120枚、ステッカーや缶バッヂなどの小物、楽器をテキサスに送りました。
それまでのライブをセーブしていただけに、メンバーとほとんど会うこともなく、現地のイベンターとのやりとりが主になってました。
アメリカでの公演は10以上決まっていました。
3月15日の17時、関西国際空港からサンフランシスコ経由でオースティンに行く予定でした。
15日の昼に梅田のシャトルバス乗り場に行きました。
荷物が重すぎてタクシーで向かったのに伊丹空港行きの乗り場で降ろされてしまい、右往左往していたら通りがかりのサラリーマンが道案内してくれました。
バス乗り場で久しぶりにメンバーと会って、行きのバスでiPhoneの天気アプリに各地の情報を入れたりしながら向かいました。梅田からはシャトルバスで1時間ぐらいです。
空港に着いて、受付までは2時間ほど時間があるとのこと。
先に円をドルに両替しました。初めて手にするドル札。それをスリ対策で首から下げるタイプのパスポートケースに収め、海外旅行保険に加入し、Wi-Fiをレンタルして、
エコノミーは荷物の重量制限が1個23kgらしいので秤で測量して、なんとか行けそう!と安心しユナイテッド航空のカウンターに行きました。
カウンターで荷物を預けてパスポートを見せて照会してもらうと、簡易ビザ(ESTA)が全員拒否されていて受付できないと言われました。
ESTAを取得したのは1ヶ月前で全員承認されてお金も払っていただけに、???
ユナイテッド航空のお姉さん曰く、「申請時の内容で引っかかっていた可能性があるから再取得してほしい」とのことで、空港のネットスペースで再申請するもNG。
その後ユナイテッド航空のお姉さんが上司を連れてきて、「アメリカに連絡したところ承認拒否の理由は教えてもらえなかった。正規のビザを取得するか、領事館に行って相談して欲しい。今日の飛行機には乗れない。」との解答。
仕方がないので現地イベンターに連絡し、領事館に向かうため梅田にとんぼ返り。
しかし領事館の営業時間に間に合わず、かつ面談の予約がいることがわかり翌日行くことに。梅田でハンバーグを食べて帰宅。
翌日の8時30分、大阪領事館へ。木刀?を持った警官が何人も警備していて、背後には警察車両も控えている物々しい雰囲気でした。
私はこのあとすぐに関空へ行けるようにスーツケース持って行きました。
しかし領事館はセキュリティの関係上スーツケースを持って入れないとのこと。
少し離れた駅のコインロッカーに入れに行き、再び領事館の順番待ちの列に戻った時には面談予約時間を過ぎていました。
それから寒空の下待ちました。
どんどん順番待ちの列が増えていき、予約が忘れられていないかと不安になりました。
その間オースティンの楽器屋を調べて現地調達できる機材を調べたりしていました。
1時間程経って、ようやく中に呼ばれました。
どうやら予約先の部署を勘違いされていたようで、行列から優先して中に入れてもらいました。
領事館の中は電子機器の電源を切ってセンサーに通したり、やはり物々しい雰囲気でした。
そして予約していた市民課へ行くと管轄が違うと言われました。
(領事館の面接予約はかなりわかりにくくて電話も通じないので、メール予約できたのが唯一そこでした。)
ESTAは領事館の管轄外のため米国大使館へ問い合わせて欲しいとのこと。
米国大使館は東京なので、電話番号をもらいました。
その時点で正午くらいでした。
とにかく寒かったので領事館の隣の喫茶店に入り、米国大使館へ電話をして、旅行会社へフライトの変更連絡をしました。
米国大使館もESTAは管轄ではないと言われ、ガイダンス電話に回されました。
その内容だと、メールを送って欲しいと言われました。
ビザに関して、私たちはイベンターの指示で取得していたので無知でした。
この時点で、たらい回しにされている不安、知識のない不安、どうしたらいいのかわからない不安でいっぱいでした。
必死に考えてあらゆる行動をしました。
たくさんの先輩方に相談しました。
そうこうしているうちに、同じイベントに参加するバンドが入国拒否に遭ったという情報も入ってきました。
旅行会社から、行きの航空券の引き伸ばしがこれ以上できないと言われました。
ビザが不確定な状態では難しいとのことでした。
最終リミットが翌日になりました。
この時点で、ESTAが復活するか、正規ビザが取得できないのであれば諦めるしかないという結論になりました。
その時点ではビザに対する情報が集まっていたので、ESTAが一度承認拒否された場合、正規ビザを取得するしかないということ、そのためにはどれだけ早くても1週間はかかるということがわかりました。
ツアー最終日のサンフランシスコ公演に間に合うのであれば、それだけでも出演できないかと画策しました。
ビザ取得には面接をパスする必要がありました。
そして領事館が連休で休みになってしまい、面接を受けれたとしても公演中には間に合わないことがわかりました。
アメリカに行ける可能性が限りなく低いことを悟ったのが、喫茶店を出た時でした。
梅田の交差点で涙が出てきました。
この3年間自分がやってきたことはなんだったのかと涙しました。大きな交差点の真ん中でグズグズ泣きました。
これだけの人に後押ししてもらって日本すら出れてない自分が不甲斐なかったです。
昨年フジロックに出れた時は、応援してくれた沢山の人達の思いも背負って、その場にいない人たちも一緒に同じ空間にいる気持ちでがんばりました。
今回は、達成できなかった悔しさ、夢が敗れた気持ち、支援して下さったひとたちや、私個人の夢を支えてくれたメンバーにも申し訳無くて、それでも飛行機は頭上を通過して、人々は行き交っていて、世界は当たり前に動いていて、自分の小ささを感じました。
あの梅田の光景は生涯忘れられないと思います。
その後は、自分でも驚くほどすんなり受け入れてました。
ダメだったらダメだっただけのことをそれ以上にするまでだ、と、そしてアメリカはまだ終わっていなかったんです。
スタッフとして現地に行っていた人たちがいました。
物販も楽器も現地にあります。
そこからお願いして、ビラを配ってもらったり、物販をアメリカ中に運んでいただきました。
イベントでは、募金箱を置いて募金してくださった方に物販を渡していただいたようです。
おかげさまでほとんどの物販をアメリカで消化することができました。
スタッフの皆様、イベンターの皆様、先輩バンドの皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。
少なからず現地で注目してくださっていたアメリカ人の方々もいました。
何人かの方は定価でCDを購入したそうで、メールを送って下さいました。
必ずアメリカに来て!と。
今回アメリカに行けなかったバンドは私達だけではなく、全世界で100組近くにのぼるそうです。
選挙、テロ、SXSWに現職大統領夫妻がスピーチに来たなどの情勢もあると思います。
アメリカは世界一入国審査が厳しくビザも高額です。
アメリカでライブが出来ることは凄いことだと思います。
今回は、ただただ実力不足でした。
いつか必ずアメリカの地でライブが出来るように頑張ります。
そんな背景もあって、3/29の京都nano周年ライブは楽しかったです!!
ステージに立つことは特別なことなのだ、と噛み締めました。
その崇高さを忘れてはいけないと思うんです。
当たり前にステージがあるのは日本だけです。
海外は機材もPAも全て持ち込まないとライブなんてできないそうです。
自分が舞台に立てることこそ、特別で選ばれたことなんです。
だから、そこに時間とお金を使って見に来てくれる人たちには、
とびきり最高な気持ちになってもらわないとだめだし、
その気持ちが前になければ、場所に頼ったショーになってしまうんだろうな、と思います。
場所というのは、単純な立地とかではなく、
その場所(ライブハウスなど)にいる人(スタッフさんやお客さん)とかの環境をひっくるめた意味でです。
その上で、本当のショーは、きっと場所は選ばない。
極論すると、今すぐ路上でやってみせろって言われて、
私ならバケツでも叩いてやってやれるぐらいの、
ハングリーさというか表現者側の気概があってこその、
ステージが生まれてショーなのではないかと、今回の事件を通して思った次第です。
生意気な感じで申し訳ありません。
体現出来るだけの経験がしてこれなかったのは残念なので日本の路上でやってみようと思います。
とにかく、
当たり前なステージはひとつもなくて、そんな色とりどりの日々で、
最高なステージをもたらしてくれる仲間がたくさん増えました。
ちょっと前だったら考えられなかったぐらいたくさんの人達に見守って頂いています。
アトミックは早くも4期目です。
どうか変わらずご愛顧のほどよろしくお願いします。
みなさんと一緒に高みに登れるように!
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160401/04/kpgx/69/bd/j/o0800044613607658624.jpg?caw=800)