ブログを書くのは久しぶりです。
自身がやっております、teteyotoというしがないフリーペーパーも3周年を迎えさせていただくことができそうで、感謝しっぱなしのさいきんです。
それに伴い、3周年記念イベントを10/2/3からずっとおこなっております。
そのことについては紙面やFB等でご報告していければと思っております。
なんだか最近ほんとうにバタバタで多方面の方々にご迷惑をおかけしっぱなしでおります。
やっとこさ落ち着いたので、自分の気持ちの整理、ということでここに書きたいと思っておりますので、途中で嫌気がさしましたらどうかご勘弁くださいませ。
10/25に、祖父が他界いたしました。
僕は父親と母親が奔放で、1歳の時に祖父母に預けられました。
50代半ばの祖父母は昼夜問わず働いて、僕を何不自由なく育ててくれました。
定年を迎えた後も、僕の大学等のお金を稼ぐために働きに出て、仕送りをしてくれました。
普段は、物静かで頑固な祖父でしたが、僕が少しでも不憫な思いをすると、顔を真っ赤っかにして先生にだろうと、同級生にだろうと殴りかからんが勢いで僕を守ってくれた人でした。
怪我をして自転車に乗れない時は、仕事の行きの便で僕を学校におろし、17時ころ、疲れて仕事から帰って、普段ならすぐに酒を飲むのを我慢して待って、21時くらいに学校に迎えに来てくれました。
大学に行ってからも、ずっと僕を心配していて、実家に帰るたびに、デザイナー募集とか、CATVとかの求人に赤丸をつけて本棚の隅にストックしてくれていました。
実家に帰って、車を駐車場に置いておくと、いそいそと僕の車にむかい、僕が山口に戻るころにはピカピカになっています。
いつも帰り際、「ありがとうね」というと、居間で座りながらタバコをふかし、TVを見ながら、「気をつけろよ」と言うだけでした。
いつも、TVやなんかに文句をつけて、ほんとに頑固で口うるさい祖父でしたが、僕のことに関しては何一つ文句を言わずやってくれました。
直腸がんが宣告されたとき、もう祖父の体は長くはもたない状況でした。
はやく病院に行けばよかったのですが、僕にかかるお金や親父のこと、それからまだ中3の親父の前の嫁の連れ子(僕の妹)の養育費のことを考えたのでしょう。自分よりも、家族のことが最優先だった祖父のことです。自分にお金をかけてられないという思いが強かったんだと思います。
病院に見舞いにいったときには、頑固で、筋肉隆々で大声だったかつての祖父の姿はそこにはありませんでした。痩せこけて、食事や排泄も一人ではできない状態でした。
何と声をかけていいかわからない僕に、「見舞いなんかいらん、また金がかかるやろ」と言う祖父にたまらない感情になったのを覚えています。
こんな状況でも、まだ他人のことを心配して、とありがたいやら自分のことが情けないやらで。
その時の帰り際、祖母から、祖父はあと1週間くらいだ、と伝えられました。
頭がぼーっとして、山口への帰り道は記憶にありません。
それからも祖父は懸命に生きようとしました。
心電図の機械とにらめっこして、「これが0になったらわしは死ぬんやから、ちゃんと見とけよ」と口癖のように言っていました。
あいかわらず文句もいっぱい言って、周りを笑わせてくれました。
宣告のあと、1ヶ月がたちまして、このまま回復するんじゃないかとおもうくらい、懸命に生きていました。
それでも、亡くなる少し前は、ほとんど意識もなく、上の空で、言葉もよくわからず、という状況まで陥りました。
亡くなる1週間くらい前に仕事の都合をつけて見舞いに行ったときのことでした。
普段は名前もろくによばない祖父が、
「ゆうちゃん。わしはもう長くはない。明日かもしれん。もう守ってやれんのや。悪いことは言わない。帰っておいで」
と絞り出すような声で僕の目をしっかりと見て言いました。
まだまだじいちゃんと野球の話とか、近所のスーパーの話とか、お酒飲みながらしたかったし、ボーナスが出たらばあちゃんとふたりでの旅行をプレゼントしたっかったし、なにより、まだまだまだまだ親孝行できていないどころか親不孝ばかりでなにもできていない自分が情けなくなりました。
ありがとう、としか、言えなかったです。
人の幸せを図る機械はありませんが、じいちゃんの過ごした74年間が幸せなものだったのかどうか、僕からはどうも断言できません。
いろいろ落ち着いて、やっとこれからばあちゃんとふたりでゆっくり過ごせる矢先のことでした。
ばあちゃんが言っていた、「かわいそうになぁ」が頭から離れません。
葬式にはなんとか駆けつけることができましたが、四十九日には仕事の都合でいかれなかったので、来週、辰巳の正月があるので実家に帰ります。
僕には勝手にまだまだやることが山口にある、いや、やりたいことがあるのです。
愛媛に帰るのはずっと先かもしれません。
ずっとじいちゃんの意向に背く親不孝ばかりです。
でも、じいちゃんが心配しないで済むような生活をなんとかして送りたいと思っています。
それで、ばあちゃんを少しでも楽させてやれればと。
それがせめてもの恩返しかなと落ち着いたところです。
実家に帰っても、タバコをふかしながら、駅伝を観るじいちゃんの後ろ姿が見えないのかと思うと、さみしいですが、大事にされたことを誇りに思って毎日を乗り切っていこうと思っています。
ほんとうに個人的なことでここまで読んでくださった方がいらっしゃればもうしわけございません。
あと、乱文、稚拙な表現、どうかお許し下さい。
どこかで会いました際は、いつもどおりバカバカしくやっていきましょう。
12月も、忙しい。
やること山積みなので、この辺で。
